人生考路

個人と社会のウェルビーイングを高める教育と学びを探究する

学生の振り返りにみる「イマドキの大学生」と「落単志向の要因・対策」

私の授業では,基本的に毎授業後振り返りを提出してもらい,翌週の授業でフィードバックするという取り組みをしています。

 

その内容や考え方,効果等については,先日小論を書きましたので,ご参照いただければ幸いです。

山田剛史(2022)「オンライン授業による学修評価をどう考え,実践するかー振り返りとフィードバックを中心とした実践事例の紹介ー」『大学教育と情報(私立大学情報教育協会)』2022年度No.1,4-9.

https://www.juce.jp/LINK/journal/2204/pdf/02_01.pdf

 

これをやっていると,回を追うごとに学生の振り返りの質量がめくるめく上がっていきます。教育・学生研究者としても参考になることが多く,私自身楽しみながら読ませてもらっています。今回のブログでは,今週の授業(異なる2つの授業)のフィードバックで取り上げた2人の学生の感想を紹介したいと思います。(学生本人からブログへの掲載許可は得ています)

 

1人目は「イマドキの大学生」に関する考察です。

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(政策創造学部,1年生,女性)

最近の大学生について考えるために、まず自分がどんな大学生で、どんな理想を抱えているのかについて考えてみました。今の自分は新しいことを始める時や、慣れるまでに過剰な不安を抱えます。授業のスライドにあったように、失敗した時のために常に代用できるものについても考えている気がします。大学生活は自分の好きなことを探したり、自由な時間を謳歌するものだと中学生までは思っていました。しかし、年齢が上がるにつれてなぜか大学生の間にスキルを磨かなければいけないような風潮、就職のための4年間のようなイメージをだんだん感じるようになりました。インスタのおすすめ欄には大学生におすすめの資格やインターンシップの勧めに関する投稿がたくさんあって、それを毎日目にすることで私達も知らず知らずのうちに本来の自分の目標や、やりたいことを見失っていってると感じています。このように自覚があっても、就活のために何か資格をとらないといけないという意識、英語ぐらいは使えないといけない風潮に逆らうことはなかなか出来ません。資格の勉強になかなか身が入らないのも、本当にとりたいからではなく、どこか仕方なくやらされている感が捨てきれていないからだと思います。ここの授業に参加した時、簿記1級の取得を目指しているという自己紹介を聞きました。その時になぜかその子の表情を見てしまいました。彼女はとても笑顔で、みんなの目を見て目標を話していて、自分で決めた目標にコツコツ頑張っている様子が自分にはイメージできました。そんな姿を見て、彼女のように人にやる気を与えることの出来る人になりたくなりました。今は彼女のように自分に合ったものを見つけるべく、ジャンル関係なく本を読み漁っています。みんなと討論する中でもいい面より悪い面について話すことが多かったです。色んな人と交流できたり、自分が生きる世界が目の前にある社会だけでなくなったことで新たに自分の居場所を見つけることができる人もいます。それはそれで素晴らしいことだと思うのですが、SNSを通して、必要以上の成功をイメージする癖がついていることに私は恐怖を感じています。SNS上の交流は子を持つ親の多くが心配することだと思います。しかしそれ以上に、SNSで自分や自分の生活に対する満足度や幸福度が低くなることが1番怖いことだと私は考えます。ダイエットの成功例、定期テストの成功例、資格のスコア、語学力、モデルのような人の自撮り、美味しいものや高級車、カップルの写真など、人生の成功例はこういうものだ、これが幸せだという象徴のような投稿、ストーリーを常に見ることで、家でゆっくりした日や普通に家でご飯を食べた日を幸せだと感じず、今日1日を無駄にしたと考える人がとても多いです。あたかも誰かと過ごすこと、何か特別なことをしないと幸せでないと言い切っているようで私は不思議でたまらないです。服や髪型、趣味の多様性はここ数年で大きく変わったと思います。でも、生活に関する成功例のようなものは8割の人が似たり寄ったりな気がしてならないです。承認欲求が上がり、劣等感を感じる人がいるのも無理はないなとつくづく思いました。

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現代を生きる大学生(青年)が感じている日々の葛藤やSNS等による幸福感への影響など,すごくリアルに表現してくれています。

 

2人目は「大学生の落単志向に陥る要因と対策」に関する考察です。

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商学部,1年生,女性)

私が1番気になったのは、最後の話し合いの際によく出た「単位さえ取れたらいい」という言葉です。本当に、単位さえ取れればいいのかなと疑問に思いました。私の考えは、「単位は取れればいいけど、単位を目的に講義を受けるのは勿体ない」です。私は、まず、単位さえ と思ってしまう要因を3つ考えました。1つ目は、大金を払って来ている自覚があるということです。両親に払って貰ったり、奨学金という借金をしていたりすることを理解しているからこそ、留年だけはしてはならないと思っているためにしてしまう発想だと考えます。2つ目は、教授という存在を先生という形で理解してしまっているということです。高校までのいわゆる“先生“と呼ばれる人たちは、先生になるまでの過程で上手な話し方や授業の仕方を身に付けます。しかし、教授はそういう力を身につける必要はなく、研究が評価の対象です(一応、調べたのですが、異なる点があれば教えてください)。つまり、教えるのがとても上手い人達だけが集まっていた、今までの環境とは違うということです。そのため、当然のように何を言っているのか理解し難いという現象がおきます。もちろん、話がとても上手い教授も多々いますが、今回は、そうではなく、専門的知識はとてもあるけれど、学生の興味を引いたり、面白かったりする講義があまりない場合の講義をイメージして話しています。そして、そういう場合に授業のイメージを持ちながら受けると、講義はつまらなくなってしまい、内容理解より、とりあえず単位だけ取っておこうという考えに至るのです。最後に3つ目、2つ目と繋がりますが、内容理解をしていないので、興味の有無がほぼ分からないということです。大学での専門的な内容の中で、一体自分が何に興味を持てるのかを探しきれていないと考えている学生(特に1回生)がほとんどだと思います。本来、必修や選択の授業を聞いていく中で自分が興味のある分野を見つけていく、というのが1番、簡単で見つけやすい方法です。しかし、そもそも聞けていないので、「見つけられない=おもんないし、じゃあ、もう聞かんと単位だけ取ろう」という思考になるのではないかということです。他にも様々な要因があると思いますが、私が思い付いたのはこの3つです。では、どうすれば単位を取るための授業ではなく、視野を広げる講義という形で受けれるのでしょうか。私の中の答えは、「まぁ仕方ないよな、教授は話すのを頑張ってるんやから、聞くのが上手な私が上手く聞いてあげよう」というマインドを持つことです。私たち学生は、高校までの授業で、上手な聞き方やメモの取り方を習って来たはずです。少なくとも、私は習いました。それを発揮する時がきたんだと思えば、話すのが少し下手くそな教授の話もちょっと可愛いなと思えるんじゃないかなと考えます。(中略)この話で言いたいのは、このマインドを持ちましょう!ということではなくて、皆がそれぞれ、講義を上手く聞ける態勢やマインドを見つけてみるのがいいのではないかということです。春学期、大して聞かずに上手くいったとしても、4年間、そんなことを続けるのは正直、時間の無駄です。なぜなら、当人が面白くないと思っているのに、約90時間もその面白くない講義に費やすことになります。せっかくなら、今この機会に講義も面白いと思えてしまえば、お得なのでは?と思います。そんなことを考えるきっかけになった時間でした。

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「落単志向」については,ちょうど今日の午後にもシンポジウムがありますが,ベネッセの大学生調査でも年々顕著になってきている問題です。その原因については我々研究者や大学教育関係者も探究しているところですが,一学生がこの問題について主体的に考え,解決策まで提示してくれています。

 

今期,まだ授業が始まって1ヶ月ほどしか経っていませんが,このような感想を書いてくれます。もちろん,クラスの中でもトップクラスの内容ではありますが,素晴らしい思考力と表現力を魅せてくれます。僕にとっての挑戦は,授業への振り返り1つ取っても,「単位のため」や「課題だから出さないといけない」(受動的な学びモード)から,「自分の成長につながるから」(主体的な学びと成長モード)へと意識変容が促され,それが行動へ,そして学びと成長の実感へと繋がるというところを狙っています。

 

そんなことは無理じゃないかと思われるかもしれませんが,上記のように確実に主体的な学びと成長モードへ移行する学生が出てきます。全員とはいきませんし,8割も行けるかというと難しいのが正直なところですが,大体5〜6割くらいまでは1〜2ヶ月程度でこのモードへと移行します。

 

そして,僕の挑戦は続く。