人生考路

個人と社会のウェルビーイングを高める教育と学びを探究する

学生の楽単志向の謎に迫る

以前から学生の楽単志向については考えてきました。ベネッセ教育総研の大学生調査で2008年からずっと聞いてきている項目があるのですが,所謂「楽単志向」の学生は調査を経るごとに増えてきています(下図)。プレスリリースなどでもよく取り上げられてきた結果の1つで,研究メンバーでもその原因など分析・検討してきています。

 

ベネッセ教育総研「全国大学生調査」より

 

学生の目的意識の希薄化や動機づけの低さ,学生の生徒化,アクティブラーニングの形式的対応による失敗など,色んな分析・考察もしてきましたが,いまいちしっくり来ない,というか本質的な理解に至っていない,そんな気がしていました。

 

先週,3・4回生の専門科目の授業でこのデータも見せつつ,大学生の学びについて振り返る時間を設けました。まず,学生らに上記A・Bどちらの考えに近いかを聞いてみると,9対1でした。つまり9割が楽単志向だったのです。毎週の振り返り,みんな結構書いてきてくれるし,こう言うと申し訳ないけど学内を歩いているチャラついた学生たちよりよっぽど真面目な学生たちと認識していただけに,かなり驚きました。

 

その日の振り返りでは,学生たちからこのことについての感想・コメントが多数寄せられました。それを見て,だいぶこの問題の抱える本質に近づけた気がします。全てではありませんが,少し紹介してみようと思います。

 

1.一般的な楽単志向の捉え方

  • 周りの友人や学生と話をしている限りでは、いわゆる楽単と呼ばれる授業が好まれているのも事実です。学ぶことより卒業することに重点を置いている学生が多いのかもしれません。
  • 僕も結構楽単だと聞いた科目を選択しがちで、興味があるものを学びにいくというより大学を卒業することが目的になっているような気がした。
  •  私の意見としては、興味があっても単位が取れなければ意味がないと思います。それなら、興味がなくても楽単をとって、その時間を興味のある勉強や趣味など他のことに回す方が効率がいいと思っていました。
  • 学校で学ぶことより学校外での活動や何かしらをする経験で学ぶことを大切にしているので履修する時は楽単を選びます。
  • 1回生のころ、自分が興味を持った授業を登録したものの成績が振るわず危うく奨学金止まりかけた経験があるので今でも楽単重視の登録になっています。

確かに,こういう印象は見ていても伝わってくるので,理解できるところです。確かに,奨学金とかの観点も大事ですね。GPAは就活とかでも効いてくる(年々そういう傾向にある)ので,そういうのも楽単に向く原因になっていますね。しかも,本学の場合,GPAの「上書き制度」がないので,一度低い評価が付いてしまうと,取り消せないんですよね。やるべきだと以前から主張しているのですが。

 

2.教育者側(教員側)の問題

  • 私も友達も楽単を選ぶことが多いです。興味のある授業は成績評価が難しそうだったり、先生が怖いと感じたりするからです。
  • 楽単志向について、単位を取るのが難しくても興味がある分野を学ぶのが1番という事は分かっているけど、興味がある授業でも、履修してみたら先生がずっと喋ってるだけだったり、オンライン授業だった時のオンデマンド授業で資料を載せるだけの授業があったりで、ただ内容が難しくて単位を取るのが難しいだけでなく、思っていたのと違うとなる場合がありました。どうせ思っていたのと違うとなるなら楽に単位が取れる方がいいと思ってしまった部分があると思います。
  • 1回生の頃は一般教養でも興味のある授業を履修していました。「○○○○」という名前の授業で、もともと海外ボランティアに興味のあった私にとって大変魅力的でした。また、1回生の頃は一般教養もほぼオンライン授業だったのですが、この授業は対面で行われていたこと・ちょうど空きコマだったということもあり、大学生になりたてで友だちが欲しく、空きコマを埋めたかった私はワクワクした気持ちでこの授業へと向かいました。しかし、初回の授業で待ち受けていたのは先生の厳しい言葉でした。「この授業はテストが7割で、真面目に勉強しないと単位を与えない。空きコマだからという軽い気持ちでこの授業に参加している人は申し訳ないが履修辞退してくれ。」とはっきり告げられたことを今でも覚えています。・・・他の授業でテストなし、レポートのみというものを経験してしまうと、一つのテストのためにここまで時間をかけなくていいのかという魅力を感じてしまい、それ以降テストなしの授業ばかり選んでいます。
  • 楽な単位を選ぶか、難しいけど自分の興味のある単位を選ぶか以前に、興味のある授業をシラバスで見つけるのが難しい。・・・確かに楽単かどうかを判断するのはシラバスで授業の課題量や、最終成績評価がレポートかテストのどっちかを調べて自分の得意な方であれば判断しやすいです。しかし興味のある授業かどうかを判断するのはシラバスや初回のイントロダクションの授業だけでは難しいです。実際シラバスに書いてある授業内容を読んでみて興味のありそうな内容だったから初回のイントロダクションに行ったら「なんか思ってた内容と違う」と言った経験もあるし、逆に授業名やシラバスの授業内容から自分には絶対合ってないと敬遠してたけど、友達が受けるから一緒に履修登録して受けてみたら意外と自分に合ってたみたいなこともあるので判断が難しいです。ましてや興味があるかどうかわからないのに加えて授業内容が難しいとなれば、単位を落としてしまうかもしれないという不安もあるので、結局は安定択として楽単を選んでしまうのだと考えます。
  • 私が考えるに、面倒臭い授業があまりにも面倒くさ過ぎる事が理由だと思います。どういう事かと言うと、ただ単に文字が大量に書いてあるだけの資料を読み上げる授業を行い、最後8000字のレポートを書かせる授業があったとします。仮にシラバスを読んで興味を持った授業だとしても、もはやこの授業を楽しく学ぶことは不可能だと思います。それだけで無くこの様な授業を選択することで落単の危機にも陥ることになります。そうなれば多少の希望を持った真面目な学生もアホらしくなって来ると思います。結果的に学生は楽単の情報を得ることに精を出す様に変容していきます。「大学は教えられるだけじゃ無くて、自ら学びを深める所だ!」と仰る教授も多くいますが、それにしても限度はあると思います。本当に文字を読み上げているだけの教授もいるので、そういったとこから何を学べば良いのだろうと感じます。

これらの率直な感想・コメントにとてもリアリティを感じました。同時に楽単志向という現象の背後にある重要な問題に踏み込めた気がします。つまり,学生たちは1で取り上げたような「やる気の低い学生たち」だけではなく,学ぶことに対して期待を抱いていたり,学ぼうという意志を持っている学生たちもたくさんいるということです。上記では,授業内容の問題(思っていた内容と違うなど),教育方法の問題(ただ読み上げる,一方通行,資料だけ載せるなど),評価方法の問題(いたずらに課題が多い,極端に評価が厳しいなど)が強調されていました。また,シラバスや初回オリエンテーションだけでは判断しづらいという問題も重要な指摘かと思います。日本のシラバスは内容が薄く,それだけで15回の授業にBETするのはリスクが大きいと思われているのです。

 

3.学生を取り巻く環境要因

  • 私が1年生の時、新入生歓迎オリエンテーションに行った際に、同じ学部の先輩方から「この授業はめっちゃ楽単!」「この先生の授業は評価が緩いから取った方がいいよ」などなど、面白くてオススメの授業を紹介するのではなく、いかに単位が取りやすい授業ばかり紹介されました。このような文化は、今までもこれからもずっと続いていると思います。辛い受験勉強を乗り越えて、やっとの思いで憧れの大学に入学することができて、ほとんどの人が意欲を持った状態で大学に来た(そう信じたいです)瞬間、楽な方法があるよという話を聞き、どれだけ難しくても自分のしたい勉強を頑張るorとりあえず単位を取るために楽な授業を履修するという葛藤に苛まれると思います。

少し異なる切り口として,このような声もあります。これは本学では実際よく聞く話です。もちろん,そんな先輩の言うことなんか気にせず,自分がやりたきゃやればいい,という気持ちもありますが,それよりまずこういう悪しき伝統,悪しき文化がはびこっていること自体どうにかしないといけないなと思います。また,たとえそういう悪魔の囁きがあったとしても,新入生のオリエンテーションや初年次の教育でガツンと,「これが大学の授業だ!」って見せられれば一蹴できるかもしれません。

 

一言でまとめれば,学生の楽単志向は日本の学校教育(教員)の問題と表裏一体の関係にある,ということです。

 

書いてて,これは論文かせめて学会発表くらいしようかなと思いました。あと,やっぱり学生の生の声はほんといっぱい聞かないといけないなと痛感しました。僕自身は通常の教員よりも専門性という意味でも学生のことはよく見ているつもりですが,それでも分からないことが多いなと感じます。特に,私学に来て,国立とは違う学生のカルチャーには付いていくのが大変です。

 

もっともっと学生理解を深めていくために,彼らの声に耳を傾けていきたいと思うし,その背後にある教育の構造的問題の転換にも注力しないといけないなと思いました。

 

みなさまはどのように感じられたでしょうか?