人生考路

個人と社会のウェルビーイングを高める教育と学びを探究する

発達「障害」という社会課題を考える

今日の午後は,筑波大学ダボットプロジェクトとオールマイノリティプロジェクト共催の公開Webイベント「発達障害の”障害”は,社会のどこにあるのか?」を視聴させてもらっています。

 

www.jst.go.jp

all-minorities.com

 

以前にも関連イベントに参加して勉強になったのもありますが,このタイトルにも意味があるなと惹かれて参加しました。従来ある「障害は当事者の中にある問題で,それをどう治療し,環境適応・社会復帰させるか」といったいわゆる医療モデル的な考え方を根本から問い直して,社会のどこにあるのか,といったいわゆる社会モデルを前提として出発していること。さらに,その社会モデルを「3つの社会」に分類し,その中核に「発生メカニズムの社会性」(障害を生み出すマジョリティ−マイノリティの権力関係)であることが指摘されています。

 

第1部の大島郁葉先生@千葉大学の基調講演では,自閉スペクトラム症ASD)を中心に,様々な研究成果を取り上げながら,ASDにおける障害が社会のどこにあるのかに対して,特に「社会的スティグマ」や「マイクロアグレッション」の観点から言及されました。

 

社会的スティグマ(個人のもつ属性によって差別や偏見の対象になること)について,マジョリティによる「『普通』はこうするよ?」という社会的スティグマは,マイノリティに「自分は人並み以下だ」という自己スティグマを引き起こす。

 

加えて,マジョリティ(定型発達)による日常的なマイクロアグレッション(相手の意図の有無に関わらない,敵意のある否定的な表現)がマイノリティ(発達障害)に浴びせられる。発達障害に対するマイクロアグレッションの例には,「発達障害なのにすごいね」「発達障害に見えないね,普通に見えるね」「みんなに苦手なものはあるよ,我慢すればなんとかなる」などが挙げられる。

 

こうした社会的スティグマやマイクロアグレッションが日常的に積み重ねられることによって,自己スティグマが強固になったり,「社会的カモフラージュ」(自閉症者が定型発達者に馴染むように自分の行動を修正する努力)を取るようになる。社会的カモフラージュには,補償(非ASD者のふるまいを学び,まねる),マスキング(ASDの特徴を出さないようにする),同化(非ASD者に合わせた価値観をもつフリをする)の3つの要素があり,とりわけ同化が大きな問題であることが指摘された。

 

社会的カモフラージュは,不安の高さや抑うつ状態,バーンアウト希死念慮,対人関係の不信感といったメンタルヘルスにも良くない影響を及ぼすことも各種研究より示されている。

 

講演後半にはASDに対する介入研究の結果など詳細が紹介され,Take Home Message「様々な人が共存できる社会に!」として以下3つが伝えられました。

 

  • ASD者はマイノリティ属性から,様々なマイクロアグレッションを受けやすく,孤立化しやすい。
  • 社会的介入:支援者の持つスティグマやマイクロアグレッションの可視化と周囲の人のマイクロアグレッションのコントロールが必要。
  • 個人的介入:ASDの特性を自己理解すること・周囲にも理解してもらうことで,本人に合う合理的配慮を受けること。

 

私自身は,高等教育機関で教育開発・支援を中心の任務としつつ,そのコアには,一人ひとりの学生の「Student Success」を据えています。これは佐々木先生@筑波大学の掲げる「SuccessAbility」と同じコンセプトだと認識しています。直接,学生支援に携わっているわけではありませんが,全ての教職員がこれらの知識や理解をもって,学生と向き合い・関わることが絶対に必要だと思います。

 

もっと言えば,学校教育という空間自体は,マジョリティ−マイノリティの権力構造を容易に生み出してしまいます。その意味では,高等教育からでは到底遅く,もっと早期からこうした理解を促す教育を推進していく必要があると強く感じます。同時に,日本は,特に学校段階が上がるにつれて障害児・学生支援が低調になってくるといったことを専門の方から聞いたこともあります。高等教育機関でも合理的配慮が入って数年経ちますが,本当に全ての教職員に浸透しているか,十分な包括的支援策(組織体制や制度,ルール,FD・SD等)が講じられているか,日常的な教育・学生指導等の中で実践されているかというと,正直Yesとは言い難いように感じます。

 

正直,学生たちの同調圧力の強さにも驚かされます。障害の有無に関わらず,自分がマイノリティに入ることを恐れ,マジョリティにいるかどうかを常にモニターして意識や行動調整をしています。その意味では,学生中に社会的カモフラージュが蔓延していて,障害学生もその中に隠れようとするので,なかなか十分な関与が出来ずにもどかしさを感じています。

 

時間はかかりますが,教育を通じて,体系的・組織的に取り組んでいくべき重要な社会課題だと思います。

 

今回のイベントでは「障害」に焦点を当てられていますが,多様性が叫ばれる現代社会で,障害の有無に関わらず,一人ひとりがどうウェルビーイングを感じながら生きていくのかといった本質的な問題に関わっていると思います。

 

まだパネルディスカッション中ですが,ここまでだけでも考えさせられることが多くて,1回ポストしてしまおうと思います。

 

貴重な機会をありがとうございました!

自分にできること,頑張っていこうと思います!