人生考路

個人と社会のウェルビーイングを高める教育と学びを探究する

日経新聞の記事に込めた想い

先週8月23日(火)の日本経済新聞(朝刊)の教育面に,寄稿した記事が掲載されました。

直接の内容は著作権の問題もあるので,掲載できかねるのですが,もう少し原稿に込めた想いを書き足そうと思います。オンラインでも読むことが出来ます(要登録)。

 

www.nikkei.com

 

担当編集の方と何度もやり取りを重ねながら原稿を仕上げました。

  • タイトルは「コロナ禍と大学生の変化」
    大見出しは「学びに「受け身」増える」
    中見出しは「総学習時間は減/対面授業の転換必要」

ということで落ち着きました。

 

2008年(第1回)から研究メンバーとして参加しているベネッセ教育総合研究所の「大学生の学習・生活実態調査」の第4回調査を2021年12月に実施しており,その結果からどのような大学教育の課題が考えられるかを中心に書かせてもらいました。

 

見出しを見ると,学生の問題が大きく見えますが,私としては「学生の学習に対する受動性の問題は,大学教育を提供する側の問題ひいては中学・高等学校を始めとする学校教育全体の問題,もっと言えば社会全体の問題」だと強く感じています。

 

大学教育をめぐる課題は大小様々ありますが,最も重要かつ緊急性の高い課題は「学生の主体性をいかに育むか」にあると思っています。

これまでの様々な文教政策や大人による関与(教育)のあり方が,こうした事態を招いているということを改めて認識して,転換を図らないといけないと感じます。

 

人材育成が急務といったスローガンは幾度も目に耳にしますが,「次代を担う若者の主体性を育むことができなければ,この国の未来は無い」と思います。

 

でも,どこかこの問題が大学教育の中心的問題に据えられていないように感じます。もちろん,教育の理念やDPなんかには,主体性の寛容は謳われていますが,本当にそこに本気でアプローチ出来ているだろうかと思います。いかに専門知識を提供するかという教育,それをどれだけ記憶に保持できているかという学習が,依然多くの教員の主たる関心事にあるように思います。政策的にも強く求められているアクティブラーニングが形態としては進んでいるように見えても,教員の教授・学習観が転換されなければ,学生の主体性は育めない,データがそのことを示しているように感じます。

 

教員の教授・学習観が転換されていないことが,此度のコロナ禍での遠隔授業の導入と評価の中に垣間見えます。今回の記事においてもこれまでのメディアや原稿,講演等でも同じ主張をしていますが,日本の大学生(大半が青年期にある若者)の学びと成長の促進において遠隔授業はどれだけ効果的なんでしょうか。完全に否定するつもりはありませんが,かなり限定的だと考えています。青年が大人になる過程で必要な他者との関わり,そこをくぐらせての自己の探求と確立には,キャンパスという空間やそこで過ごす自由な時間,偶然の出会いやインタラクションが不可欠です。

 

遠隔授業を推進する立場の方々にとっては,「こういうやつがいるから進まないんだ。いつまで古い考え方に固執するのか」といった批判も聞こえてきそうですが,私はこの主張を変えるつもりはありません。

とは言え,直接の批判を受けることはほとんどありません。残念です。ぜひ直接色んな声を聴かせていただきたいなと思っているし,議論したいと切に望んでいます。

 

予測困難で課題が山積する時代を生きて,新たな未来を築いていかねばらない若者の不安は計り知れません。若者がこの国を見捨てず,安心して暮らせる持続可能な国へと成長するためには,教育(大人)はもっと抜本的に変わらなければいけないのだろうと強く感じます。変わるべきは学生ではなく,私たち大人の方だと思います。

 

私自身,変わること・変えることを恐れず,若い世代のために出来ることを精一杯挑戦していきたいと思います。