人生考路

個人と社会のウェルビーイングを高める教育を探究する-京大准教授・山田剛史のブログ

社会とは一体誰なのか?

学校教育の成果は,生徒・学生の社会への円滑な移行(トランジション)ひいては彼らの社会の中での健やかな成長・発達という視点から捉えられるものだと常々考えています。

 

この視点を教育改革の中心に据えることが最も重要だと,様々な場面で伝えてきていますが,教育関係者だけでは不十分だと年々強く感じるようになっています。教育関係者の意識変容・行動変容はなかなか難しいということもありますし,その変容を待ってもらえない社会情勢の激しい変化も,私の焦りを助長しています。

 

他方,大学に様々な提言や圧力をかけてきているその「社会」とは一体誰のことを指すのだろうか,と感じずにはいられない出来事をここのところよく体験したり見聞したりします。

 

確かに,社会変化に伴い学校も変わらないといけない。これは絶対外せない視点です。

 

実際,社会からのニーズや要望(これが年々強度を増している)といった形で,例えば「社会人基礎力」なんてことが随分前から言われて,大学では喧喧諤諤ありながらもこの10年強の間に随分変わってきたと思います。それが本当に望ましい方向に進んでいるかどうかの検証を行う暇もないほどに。

 

私自身も,そういう視点を持つことが大事です,とか言いながら先生方に理解を促したり,そのための教育開発や教育力向上に資する活動・支援を行ったりしてきました。

 

でも,最近,企業の方あるいは企業出身の教員と話したり,意見を伺ったりする機会があるのですが,文教政策の中で語られる「社会」と,一般の学生の多くを受け入れる一般の企業あるいはそこに勤める方々との認識のギャップが非常に大きいことを痛感します。

 

このことは,採用に関わる大学側からも「結局,社会が求める人材育成を一生懸命やっても,採用時にそのようなところに十分配慮してもらえない」といった声や,受け入れた企業からも「結局,変にリーダーシップのある学生はいらない,従順に言うことを聞いてくれる学生が欲しい」といった声など,以前から耳に入っていたことではあります。

 

大学では社会からのニーズを受けて,多種多様な資質能力の育成に取り組み,その成果を多面的・総合的に評価するといったミッションに臨んでいます。

 

なのに,企業側はそのような取り組みが行われていることはほとんど知らないのではないか,それが入職時や入職後にほとんど生かされていないのではないか,と感じる瞬間が多々あります。

 

そういうことを鑑みると,「社会からのニーズって一体何なのか?」「社会とは一体誰なのか?」という問い(疑念)が浮上します。

 

おそらくは,社会といっても経済産業界の上層部にいる方々,政治的・政策的に強い影響力を持つ方々,といったごく一部のエリート層やサバイバー層(自分は身一つでここまでやったぞといった強い成功体験を有する人)のことを「社会」と呼んでいるに過ぎないのではないか,と。

 

何がダイバーシティだと。

(関連して,今回の参議院選挙や吉本興業の一件,それらに関わるマスメディアの在り方など,かなり色んなことがモヤモヤします。これ以上,この問題については触れませんが。)

 

私たち教育界は一体誰に踊らされているのか?

 

もちろん,このような批評をするだけなら問題は何も改善しないので,自分なりに考え,判断し,行動していかないといけません。その意味でも,大人の論理,教育者の論理から距離を取って,これからの「社会」の担い手・「学校」の主役である生徒・学生の目線から,彼らのウェルビーイングを守り育むための教育・研究や社会貢献により一層取り組んでいこうと思います。

 

そのためにも,学校関係者以外の方々(一般の社会人や保護者など)との対話や理解を促すための機会を作っていく必要があると思います。

 

ちょっと熱くなりすぎたようです。。