人生考路

個人と社会のウェルビーイングを高める教育を探究する-京大准教授・山田剛史のブログ

教授・学習パラダイムを見分けるたった1つのポイント

高等教育を捉える視点の1つに「教授・学習パラダイム」というものがあります。

 

学術的な説明はさておき、教授パラダイムとは教員(教授)中心に、学習パラダイムは学生(学習)中心に教育を捉える見方を表します。

 

このことはアクティブラーニングや主体的・対話的で深い学びへの転換と密接に関係しています。

 

政策上、教育全体がAL型に移行していく流れにあるわけですが、その是非はさておき、この流れにすんなり溶け込める先生とそうでない先生にスパッと分かれます。後者のタイプの先生にいくら啓発してもうまくいかないケースが大半です。また、たとえ、当人は一生懸命授業改善の努力をしていたとしても、(本来的な意味での)ALにはならないのです。

 

それはなぜか?

 

その鍵を握っているのが、教授・学習パラダイムです。その人の持つ教育観といっても良いかと思います。学習観、知識観とも言えます。この教育観は幼少期からの教育経験の中で育まれるもので、簡単に転換出来るものではありません。

 

そして、現職の学校教員の大半は、教授パラダイムの中で学び、その環境に適応し、それを好ましいと感じてきたわけです。だから教員という職業に就いているといっても過言ではありません。

 

つまり、教育とは、教員が伝え(教え)、学生は受け取る(学ぶ)、という構図からなかなか脱却出来ないのです。

 

そこをすっ飛ばして、形だけALを入れようとすると、これは教員にとっても、学生にとっても悲劇です。授業を見れば、その先生がいずれのパラダイムに依拠しているかは一目瞭然ですが、それは発言の中にも現れます。

 

もっともシンプルかつ明確にいずれのパラダイムに依拠しているかを見極めるポイントは、「主語は誰か」、換言すれば「使役動詞が使われているか否か」、になると思っています。

 

教育について話している時に、「学生に〇〇させる」といった発言をされる方がとても多いのですが、これは教員が主語になっていて、教授パラダイムのタイプに属します。「観」というのは、普段から意識しているものではなく、潜在的に有しているものの見方や捉え方なので、こうした表現が何気ない会話の中に現れます。

 

また、教授から学習への転換というスローガンは一定普及しているので、最近はこんな言葉を良く耳にします。

 

「学生に学習させる」

「学生に学ばせる」

 

言葉の中にこそ「学習」や「学び」が入っているわけですが、「学生に教える」といった従前の教授パラダイムと何ら変わりありません。

 

逆に、学生を主語に捉えられている先生の授業は、どうあってもALになります。外野からあれこれ言わなくても、そういう方向に動いていきます。

 

私のざっくりとした印象では、教授パラダイムと学習パラダイムの教員比率は「9対1」くらいでしょうか。期待を込めれば「8対2」くらい。分野にもよるし、世代にもよるし、あくまで個人の印象ですが。あえて、挑戦的に数字を書いてみます。

 

この圧倒的に不利なオセロの盤面を反転させるのに一体何十年かかるのだろうか。その間に、学生はどんどん入学し、卒業していく。そして、少子化はどんどん加速し、入学者自体も減少していく。

 

「学生に〇〇させる」

 

この言葉に目や耳で触れる度、絶望的な気持ちになってしまいます。

 

それでも、思考を止めず、自分に何が出来るかを考え、実践し続けていくしかないのですが。