2月・3月は特に講演や研修、外部評価が立て込む時期なので、色んな大学の取組を知れたり、そこに関わる方々とお話をすることが出来ます。勉強になることも多いですが、考えさせられることも多いです。
特に強く感じていることを一言で表すと、
「関与なき改革は空虚である」
となります。
様々な政策が打ち出されて、可視化という名の元に管理的な手法やツールが導入され、現場をガチガチに縛っていきます。
政策評価の文脈では、
「アカウンタビリティのジレンマ」
といったことが言われています。
この研究を著した山谷先生は、「『評価』によってアカウンタビリティ確保のための作業負荷が増え続け、物理的には本来業務にまわすべき労力を大きく侵食し、本来業務の実績(パフォーマンス)が低下して成果が出ない、いわば本業が無責任になるというジレンマ状況」(山谷清志, 2006)と表現しています。
これはまさに現在の大学改革の中で起きていることだと思います。
私はこれを「関与(エンゲージメント)」論から解釈・研究している途上ですが、「学生の学びと成長を促すためには、本来教職員による関与が不可欠なのに、質保証が必要という大義名分の元に導入される様々な制度の実装やPDCAを回すための作業負荷があまりに高く、結果的に学生への関与に割く時間はどんどん少なくなっている」という図式が成立します。
誰のための、何のための改革(政策、制度、ツール)なのか。
大学改革は関与改革に繋がらないと、学生の学びと成長には繋がらないと思います。
大学を取り巻く状況が深刻化していくのを止めるための改革が、むしろ大学をより深刻化させてしまわないよう、私たちは理性的に考えないといけないように思えて仕方がありません。
(補足)
ちなみに、私は改革反対派ではありません。むしろ肯定派です。また、単に外からべき論を投げつけるスタンスではなく、改革の渦中に身を置きながら考えを述べるというスタンスに立っています。