今回は学生の学びに対する意識の変化に関するデータをもとに考えてみたいと思います。
データソースは過去2回の記事同様、ベネッセ総研の全国大学生調査2016です。
2017年の夏にプレスリリースを行った際に最も反響があったものです。
項目名としては、大学教育観と呼んでいて、2008年の第1回から継続的に取っています。大学教育(授業やカリキュラム)や学生支援(キャリアや学生生活)などについてABどちらの考え方に近いかを選んでもらいます。ざっくりとした評定法なので統計的にはなかなか触りにくい項目ですが、逆にその分かりやすさからメディアなどで取り上げられたりもします。私たちは、大学関係者のみならず、多様なステークホルダーに対しても情報を伝え、理解を促す必要があります。同時に、必ずしも美しい学術のロジックとは異なることも理解しつつ、誤解や誤認があることも踏まえて、多様な対話への回路を開かないといけない。この調査に長く関わる中で、そんなこともよく考えます。
さて、話を戻すと、そんな大学教育観の中から主に授業に関する考え方(授業観あるいは学習観)の4項目をピックアップします。
特に一番上の項目の変化が大きくなっています。「あまり興味がなくても、単位を楽にとれる授業がよい」か「単位をとるのが難しくても、自分の興味のある授業がよい」かを選ぶ項目で、前者を選ぶ学生の割合が、2008年、2012年、そして2016年と回を追うごとに増えていっています。
他にも、演習形式より講義形式がいいと考える学生は若干減少するも、およそ8割存在していたり、学習方法は自分で考えるより、大学で教えてもらうものと考える学生が回を追うごとに増えていっていたりしています。
こうした結果をどのように捉えることが出来るでしょうか。
2008年から2016年の間は、大学改革が歴史的に見てもかなりのペースで進めることが求められてきた期間だと思います。教授から学習への転換というコンセプトの元、FDの義務化や「学士力」議論に始まるカリキュラム改革、育成方略としての「アクティブラーニング」の推進、それらを通じて獲得された「学習成果」の測定・可視化など、さまざまな質保証ツールが取り入れられています。
そういう時期に過ごす学生らの考え方として見ると、私たちの期待とは逆の方向に進んでいるようにも見えます。
解釈は色々あると思います。
- そもそもそこまで教育改革が進んでいない
- アクティブラーニングが効果的に実施されていない、誤った理解の元で実施されている
- 上記のような大学側の考え方が学生に周知徹底されていない
- そもそも大学で教育を受けるためのレディネスが整っていない
- 中高の進路指導が大学で進められている教育改革について十分に理解できておらず、生徒が入学後にミスマッチを経験してしまう
挙げればキリがありませんが、いずれにせよ日本の学生のこうした様態は、特定の誰か、の責任ではなく、ステークホルダーを含む子どもに関わる全ての大人にあると考えないと、この根深い構造的な問題は解決できないでしょう。
なお、これまでに研究報告もしてきましたが、こうした学生の学習に対する考え方は、学習への取組や、得られる成果に大きく影響してきます。ですので、この学習観は極めて重要な変数だと考えています。
改めて、誰のための、何のための教育改革なのか、政策に流されるあまりに見誤ってしまってはいないか、目の前の学生をより深く理解することが何においても大切なのだと思います。