人生考路

個人と社会のウェルビーイングを高める教育と学びを探究する

AIR Forum 2018に参加して

先週は丸々1週間、米フロリダで開催されたAIR Forum 2018に参加してきました。

 

AIR Forum 2018

 

AIRとは、Association for Institutional Researchの略で、半世紀以上の歴史のあるIRに関する世界最大の専門家団体です。AIR Forumは、米国を中心に世界からIRに携わる実務関係者や研究者、管理者や企業の担当者などが集まる年次大会です。

 

僕は、2年前のニューオーリンズで開催された時に初めて参加して、今回は2回目でした。

 

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日本ではまだ歴史の浅い、しかしながら政策的にも重要視されていて、多くの大学が試行錯誤で取り組んでいるIR。課題も多く、大学内部では実施に様々な障壁もあって、実践はもとより研究面でも蓄積があるとは言えません。

 

その点、IRの発祥国であり歴史がある米国では、実践レベルでも研究レベルでも相当の蓄積があります。

 

現地に行って参加するメリットは、色んな発表が聞けるのはもちろんですが、いまIR関係者にとって重要な課題は何なのか、どんな発表に参加者が集まるのか、共通する思想や概念、また頻発されるキーワードは何なのかなど、論文やインターネットだけでは分からない空気感などの非言語情報も含めた色んな情報を受け取ることが出来ます。

 

これは必ずしもこのAIRだけではありませんが、米国の教育・研究者が多く挙げるキーワードとして、"Student Success"や"Well Being"、(Student) Engagement"があります。これは私自身の研究テーマと深く関わるものなので、様々な実践、研究の中でこれらが共通の目標概念として据えられているのを確認できるのは大変力になります。もちろん日本でも喫緊の課題である"Learning Outcome"は頻出語ですが、その上位あるいはそのプロセスに位置づく概念として上記のものが入っているのが印象的です。これは教育改革を進める上で、日本と米国の重要な違いを産み出すことになっていると思います。

 

また、今回聞いた発表の中で目からウロコだったのは、下記のものでした。

 

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この発表以外にも何度か目にしたキーワードの1つが、"Sence of Belonging"(所属感)でした。この発表では、このSOBの構造や機能について調査し、成績やリテンションとの関連を検討したものでしたが、様々なアウトカム/アウトプット指標に最も影響するというものでした。

 

これは私自身がエンゲージメント研究で重視している情緒面での指標の1つになりうるもので、これは是非、エンゲージメント科研の中でも調査したいです。

 

海外の学会では、偉い人(業界の有名人)が行うKeynote Speechなど、登壇者がスライドも資料もなくフリーに語り合うというセッションが結構多いですが、これを理解するためにはかなり日常的に彼らの動向を見たり、米国の文脈を理解していないといけないなと思います。個人的には、データや理論、モデルをちゃんと示してくれるので、個人研究発表の方が好きかな。

 

日本から乗り継ぎを含めると20時間以上かかるので、とっても疲れましたが、頑張っていくだけの価値はあるなと思いました。

 

来年はデンバーだとか。

 

引き続き、日々精進あるのみ!

 

多様性の中で生きるということ

先日、普段あまり見ない民放を付けたら「奇跡体験 アンビリバボー」をやっていた。

 

「奇跡の会社 日本一幸せな従業員とは?」という見出しが気になり、チャンネルを切り替える手を止めた。「幸福(感)」というものに対して、個人としても、教育研究者としても日に日に強い関心を持つようになってきている。

奇跡体験!アンビリバボー:奇跡の会社 日本一幸せな従業員とは? - フジテレビ

 

そこで取り上げられていたのが日本理化学工業という会社だ。チョークを製造する会社で、国内最大のシェアだそうだ。会社概要はさておき、この会社の最大の特徴が、多くの障害者を従業員に抱えて発展してきているということだ。全社員85名中63名、約7割以上が知的障害者で構成されている。

 

番組では、この会社が何故、どのようなきっかけで障害者を受け入れるようになったのが、創業者のインタビューも交えながら紹介されていた。

 

さまざまなトラブルを経験している。こういってはなんだけれど、想像に難くない。会社経営という観点からすれば、どうしても困難な部分が生じてしまう。

 

そうした中で、それでも雇用し続けて、なおかつ利益を上げ続けている。

 

何故か?

 

答えは単純だった。障害があるから普通なら出来ることが出来ない、だから排除する、という考え方に帰属させるのではなく、その人がどうすれば出来るようになるかを周囲の人が考え、そのための道具を考案したり環境そのものを変えたりする。

 

そうすると、出来なかったことが出来るようになる→周囲から認めてもらえる→自分が役に立てていると感じる→嬉しい→もっと貢献したい→頑張る→結果が出る、という流れが出来上がる。

 

2月24日のブログ(「発達障害を有する学生の実態と移行問題」)で書いた「医学モデル」から「社会モデル」へのパラダイムシフトの典型例と言えよう。

 

取組内容については会社ホームページにも詳細が記されている。

障がい者雇用の取り組みについて/日本理化学工業株式会社

 

教育研究に携わる者として、この取組にとても感銘を受けたと同時に、学校の中でこうした障害を持つ子ども(障害を持たずともマイノリティとして生きづらさを感じている子ども)が幸せに学び成長していける環境をどうすれば作っていけるかを考え、実践していかないといけないと強く感じた。

 

多様性の理解、多くの教育機関が目標の一つに掲げているけれど、どこまで出来ているのだろうか。

 

例えば、具体的な例で言うと、自身が関わっている中学、高校、大学の教員あるいは学生から、「障害を持つ学生や協同作業に支障を来す生徒・学生がいるためにアクティブラーニングなどグループワークが上手くいかない、別々にした方が良いのでは、関われない子は仕方ないのでそのまま進めて良いか、そうしてはいけないのか」という声を聞くことが少なくない。

 

僕はこの答えに迷うこともあった。もちろん、大筋として、上記のような対応についてはNOというのが回答だ。

 

何のためのグループワークなのか。社会に出れば色んな人と協同しながら仕事を進めないといけない。自分がやりやすい人とだけで出来る仕事なんて存在しない。色んな人がいるから、色んな考えが知れるし、新たな発見も出来る。その楽しさを体験して、多様性という渦の中に飛び込んで欲しい。

 

こうした経験をたくさんさせてあげるのが教育機関の役割なのだと思う。そんな子どもたちが社会に出て、日本理化学工業のような会社を創っていってくれればどんなに明るい幸せな社会になるのだろう。

 

経済成長という切り口だけで突っ走って息切れして疲弊感が蔓延する中で、さらに業績主義や管理主義が徹底されていく現状を打開するのは、上記のような思想に基づく教育の創造なのではないだろうか。

 

つい堅苦しく大袈裟な話に広げてしまったけど、要はとっても感動したという話。

 

小さな声でも一歩ずつ自分に出来ることを精一杯やっていこう。

 

行ってきました!アーカイブス展☆

昨日は久々のオフ。

 

ということで、今週11日(水)から大阪で始まった「ウォルト・ディズニーアーカイブス展」に行ってきました。

 

ウォルト・ディズニー・アーカイブス展 ~ミッキーマウスから続く、未来への物語~| 大丸ミュージアム<梅田>

 

何を隠そう大学教員界でも屈指のディズニー好きのわたくし。国内外のパークやキャラクターはもちろん、映画や音楽、ミュージカルまで何でも好き。研究室にもグッズがたくさんあります。でも、もう5ヶ月近くパークに行けていないので、禁断症状が出ている今日この頃。

 

先日、ディズニーチャンネルで録画していたD23 Expo Japan 2018の特番で、その会場で販売されていたグッズも販売されるアーカイブス展があるとの情報を得て、心待ちにしていました。

 

最初の週末だけあってそれなりに人は多かったものの、ゆっくり観ることが出来ました。いつ触れても、ディズニーの素晴らしさ、それらをゼロから創りだしたウォルトの偉大さを感じずにはおれません。

 

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(ウォルトの仕事部屋)

 

グッズもいっぱいあって、悩みに悩んだ末、これぐらいで我慢しました(๑ ́ᄇ`๑)

 

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(戦利品)

 

今日からディズニーランドは開園35周年。テーマは「Happiest Cerebration!」。長らく楽しませてくれたデイパレードの「ハピネス・イズ・ヒア」も幕を閉じ、「ドリーミング・アップ」がスタートするし、新しい企画も目白押し。

 

これはもう行くしかないですね!

(いつ行けるかなぁ、、)

 

ウォルトのように夢を与える仕事がしたいなぁと、現実の仕事との距離の大きさに遠い目になりつつ、上を向いて歩いていこう!

山田研究室、始動です!

今日は、2018年度の山田研究室の顔合わせ会を開きました。

 

立場上、高等教育研究開発推進センターで学内の教育改革・改善支援を行うことと、教育学研究科の高等教育学コースで大学院生の教育・研究指導を行うことの2つのミッションを有しています。

 

これは、今まで勤めてきた島根大学愛媛大学の大教センターでは得られなかった経験で、教育開発と研究指導を架橋し、これからの大学教員を育てるという意味でも大切な役割を担っていると考えています。

 

うちの研究室は、私自身の研究のスタンスとも関係して、実践に根ざした研究、実践への還元を意識した研究を志向する学生が多くなっています。

 

結果的に、大学で外国語教育を専門とする教員や看護教育に携わる教員、ファシリテーションに携わる専門職員など社会人経験者も多く、また、経済学を専攻してきた院生やリーダーシップを学んできた留学生など、本当に様々なバックグラウンドを有した方が集まります。

 

なので、研究室のメンバーには大いに知的交流を行って、互いに高めあって欲しいと思います。変な囲い込みは嫌いなので、学会など積極的に外に出て、発表して、コメントをもらって、大いに凹み、悩み、もがいて欲しいです。

 

将来的に研究者にならないにしても、その過程で得られることは大きいし、そうなるように研究室運営を行っていきたいと思っています。また、自分もその渦の中に入ってともに成長できれば嬉しいです。

 

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そんな研究室で学んでみたい方、山田までご一報を。

 

改めて、2018年度、気を引き締めて頑張るぞ!

科研費、無事に採択されました!

3月も矢のごとく通り過ぎて、気づけば新年度を迎えてしまいました。

 

自身が主担当の文科省補助事業(IR/アセスメント関係)がこの3月までだったこともあり、通常の慌しさに加えて、相当バタバタしておりました。

 

おかげで楽しくやっていたブログをアップすることもままならず、すっかり開いてしまいました。

 

さて、新年度早々に私たち研究者をソワソワさせる案件の1つが、日本学術振興会 科学研究費助成事業(科研費)の採否通知です。

 

今回、代表(基盤C)で出していた研究課題が無事採択されたようです。

 

大学からの連絡はまだですが、e-Radにログインして申請者向けメニューを見ると、採択されている研究課題には課題番号が振られていて、それで採否を確認できます。

 

研究課題名は、「学生エンゲージメントを高める教授・学習環境に関する総合的研究」(H.30〜H.32)です。

 

昨年度の前期に名古屋大学の客員教員で数日間滞在し、招聘セミナーを行ったことを契機に、以前から取り上げてきたテーマである「学生エンゲージメント」についてより深く探究すべく研究を行ってきました。

 

その後、このテーマでいくつか講演を行ったり、以下の2本の論文を執筆して、この3月に刊行されました。

 

 

この流れの中で新規に作成した科研申請だったので、どうなるかドキドキでした。ここで科研費を受けてさらに研究を進めて、その成果を書籍化する、という計画を立てていたので、その実現に向けて動けそうなので良かったです。

 

自身のテーマでもある「研究と教育開発」「心理学と高等教育」「人材養成と社会貢献」の有機的な連環を図りながら、次世代を担う若者の社会創造と幸福(感)の実現に寄与していきたいと思います。

 

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移行においてギャップは不要か?

かねてより感じていることですが、学校間あるいは学校から社会への移行(トランジション)において、ギャップは不要でしょうか?

 

たとえば、小1プロブレムや中1ギャップ、高1クライシスなど、学校種の変化(移行)に伴って生じる様々な問題を表す俗語があります。

 

高校から大学にかけて同様の表現はありませんが、昔から新入生の「5月病」や「燃え尽き症候群バーンアウト)」などは言われてきましたし、中退の多くは1年次だったり、その原因としての学校不適応を体験するのもこの時期だったりと、移行に伴う問題は指摘されています。

 

近年の教育改革、特に高大接続改革などでは、高校と大学とが一体的に改革に臨むことが推奨されています。

 

教育現場でも、「学習(者)中心」(「学生中心」という表現は好まない)というコンセプトのもと、高大接続においてギャップを埋めるべく、丁寧な支援活動や初年次教育などの教育活動が行われています。

 

先の記事でも、障害における「個人モデル」から「社会モデル」へと考え方の転換について書きましたが、大学全体の考え方もそうした転換がなされているように感じます。

 

つまり、学生が抱える問題は、学生個人の問題に帰すのではなく、大学側がその問題を生じさせないよう環境を整える、という発想に立つわけです。

 

そうして、環境整備という名の下で、出来るだけ躓かないように段差を下げたり、目の前の石ころを拾ったりするわけです。

 

確かに、発達障害をはじめ何らかの配慮を必要とする学生への環境整備という点において、これまでの大学が十分に対応してきたかというと、そうではないかもしれません。

 

一方で、人の成長・発達には、ある種の「ギャップ」が不可欠だと考えます。

 

ピアジェの認知発達理論における「同化」と「調節」概念では、人は新たな環境や課題に遭遇すると、自らがそれまでに身につけた行動様式や思考の枠組み(シェマ)を用いて同化(取り入れ)を試みる。それで対応できなければ調節していく。そのことによって新たなシェマを獲得し、発達していきます(均衡化)。

 

ヴィゴツキーが提唱した、子どもが自力で問題解決できる現時点での発達水準と、他者からの援助や協同により解決可能となる、より高度な潜在的発達水準のズレの範囲を示す「発達の最近接領域(ZPD)」や「足場かけ(スキャフォールディング)」も、現代の大学教育の在り方を再考する視点を与えてくれます。

 

いずれも、個人が乗り越えるべき課題がある種のギャップとして立ち現れて、それを教師や大人の教育やサポートの力を借りながら克服する、その関係の在り方を示すものです。必ずしも段差を低くしたり、石ころを取り除いたりして躓かないようにするのではなく、安心して躓けるような環境を創るのが教師や大人の役割だと思います。

 

移行に伴うギャップは、成長・発達の最大のチャンスです。

 

高大接続をはじめとする様々な接続が、こうした移行の大切さを損なわずに実現できるようにしていきたいですね。

発達障害を有する学生の実態と移行問題

今日は、委員を務める日本青年心理学会研究委員会およびワークショップ(WS)に出席・参加しました。(まだ参加中)

 

研究委員会では、長期的テーマ(3年間)と短期的テーマ(1年)を設定し、主にワークショップの企画・開催および学会大会時のシンポジウムの企画・実施(それに伴う調査の企画・実施)に携わっています。

 

2018年から2020年にかけての長期テーマは「青年期から成人期への移行の多様性」、その1年目となる2018年の短期テーマが「発達障害を有する学生の成人期への移行」と設定されました。

 

今回のWSは、その第一弾企画で、研究委員でもある岡山大学全学教育・学生支援機構の原田新先生より話題提供いただきました。

 

自分へのメモも兼ねて、発表内容を整理したいと思います。

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<背景>

  • 高等教育機関における障害学生数は、年々増加しており、最新データ(H.28)で「27,257人(0.86%)」(日本学生支援機構,2017)。
  • 欧米の動向を鑑みると、「障害者差別解消法(2016年4月施行)*1」を契機に、この数は大幅に上昇するだろう。
    *1・・・「不当な差別的取り扱いの禁止」と「合理的配慮の提供」が法的義務。国立大学法人は両方とも法的義務、学校法人では前者が法的義務、後者は努力義務。
  • 21世紀に入り、障害概念が「医学モデル(個人モデル)」(社会に個人を合わせるという考え方)から「社会モデル」(様々な機能障害のある人に合わせて、社会が環境を提供するという考え方)へと転換。

発達障害とは>

  • 発達障害は、「ある」「なし」ではなく、「濃い」「薄い」といった連続体(スペクトラム)として理解する。
  • 「個性」と「障害」を分けるのは、「日常生活で困りやすいかどうか(本人または周囲)」「周囲からの支援が必要かどうか」。
  • 発達障害特性の濃さ(凹凸大きい)」(可変性低)+「環境因子(社会的障壁)」(可変性高)⇒「日常生活での強い困り感(不適応感)」(⇒これが発達障害と言われる)
  • DSM-Vでは、「知的能力障害」「自閉症スペクトラム障害ASD)」「コミュニケーション症」「注意欠陥多動症ADHD)」「運動症」「限局的学習症(SLD)*2」として分類されている。
    *2・・・Specific Learning Disorderの略。聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す(読字障害、書字表出障害、算数障害)。中枢神経系の機能障害。

<大学における発達障害学生の困難>

  • 困難さの種類
  1. 高校までの学校段階とのギャップへの戸惑い、困難
  2. 演習や実習形式の授業(アクティブラーニング)への苦手さ
  3. 少人数ゼミでの人間関係、指導教員との人間関係でのつまづき
  4. 研究でのつまづき
  5. 就活の難しさ
  • 自主性、自立性、自己責任が求められる状況や、自由度の高い状況、課題や指示が曖昧な状況、周囲と協働したり、周囲に頼らないといけない状況、自分自身の適性を見極めることなど、入口・中身・出口と様々な場面・状況で困難さを有している。

<青年期から成人期への移行の難しさ>

  • 元々、自己認知が弱い、他者との関係が希薄、部活・バイト等の経験が少ない。
  • 青年期から成人期におけるライフイベント(就職、結婚、子育て等)でつまづきやすい。
  • 二次障害が重症化しやすく、社会的自立の妨げになりやすい。

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最後に、「発達障害学生の全員がこうした特徴を持っているわけではない」ということを強調して締めくくられました。

 

ラベリングというのは、名称が付与されることによって理解が進み、対策が立てられるという良さがあるものの、それがステレオタイプ(偏見)やバイアス(歪み)につながる恐れもあるので、特にこういう問題は気をつけないといけないですね。

 

青年心理学者としても、高等教育開発者としても、発達障害学生の教育・支援の問題は重要なテーマだと感じています。 

 

特に、授業や支援の現場での対応が急務な中、卒業後の移行(トランジション)まで見据えて彼らの発達を見ていくことはとても重要だし、今後の研究が期待されるところでもあります。

 

一気に問題解決を行うことは難しくても、まずこうした社会的状況や自大学の状況(現状・実態)をきちんと理解・把握すること、そして、授業や研究指導など自分が関わる中で何が出来るかを考え、実践することが大切なんだと思います。 

はじめてのふゆキャン△

週末、妻とキャンプに行ってきました。

 

と言っても、自分たちでテント持っていって、といったがっつりのオートキャンプではなく、最近流行り?のグランピングというやつです。

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元々インドアな二人が、なぜにアウトドア?しかも冬に!?ということなのですが、あるアニメがキッカケでした。

 

それが、今期やっている「ゆるキャン△」(TVアニメ「ゆるキャン△」公式サイト)という作品です。

 

山梨県を舞台にキャンプ好きの女子高生が、冬のキャンプの良さをゆる〜く伝えてくれています。

 

特に、この中で、一人でキャンプ(ソロキャンプ)する子の楽しみ方を観て、「これってインドアやん!」「確かに虫もいないし、空気も澄んでるし、人も少ないし、寒ささえ対策すればめっちゃいいんちゃう!」って思ったのでした。

 

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とは言え、道具は何にもないし、ハマるかどうかも分からないし、、って言うときに、前に利用した温泉施設に確かそんなニーズに応えてくれそうな施設あったな、と思い出したのがグランピングでした。

 

グランピングとは、「グラマラス(魅惑的な)とキャンピングを掛け合わせた造語で、テント設営や食事の準備などの煩わしさから旅行者を解放した『良い所取りの自然体験』に与えられた名称」(グランピングとは|一般社団法人 日本グランピング協会)とのことです。

 

で、その施設というのが、京都府南丹市にある「GRAX」(GRAX グラックス冬キャンプ【公式】カトープレジャーグループ | GRAX グラックス)というところです。「るり渓温泉」(るり渓温泉【公式】カトープレジャーグループ)というなかなかいい感じの温泉施設を併設していて、京都市内から車で1時間ちょっとで行けるということで、以前行ったことがあったのでした。

 

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テントタイプは今の時期お休みだったので、ルミエールキャビンにお泊り。隣の温泉施設も特別追加料金で2日間利用し放題。チェックイン後はまず温泉入ってあったまる♨️

 

夕食は予約時に選んでおいた食材を準備してくれているので、また必要な道具一式も用意してくれているので、自分たちのキャビン横の専用スペースで楽々夕食🍲

 

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真冬の自然の中でのお鍋にビール🍻、格別でした!

 

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夜は焚火🔥を囲んで、ホットコーヒーを飲みながらゆっくりと物思いにふける。

 

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キャビンでも修学旅行みたいに妻と語りふける。とっても贅沢な時間と空間。

 

翌朝は雪の降る中、自分たちで作るハンバーガーを食べる。

 

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チェックアウト後は、再び温泉へ。岩盤浴したり、ランタンテラスでゆっくり本を読んだり。

 

これだけ体験できて、お金もかなりお安めなのが嬉しい♪

 

で、結論。

 

これははまる。

 

今年は、ぼちぼち道具も揃えて、色んなところに行こうと二人決意を新たにするのでした。

 

特に、自分はインドアだし、キャンプは大勢で行くものでしょ、と無縁に思っているみなさまにおすすめです!

高校学習指導要領改訂案をどう理解し、実践するか?

小学校、中学校と次いで、いよいよ改革の本丸である高校の学習指導要領の改訂案が出ました。3月15日までパブリックコメントが募集されています。

 

学校教育法施行規則の一部を改正する省令案及び高等学校学習指導要領案に対する意見公募手続(パブリックコメント)の実施について:文部科学省

 

各種メディアも改訂のポイントを整理しています。

高校学習指導要領改訂案 主な改訂のポイント | 教育新聞 電子版

 

2020年度から導入される新しい大学入学者選抜試験と併せて、2022年度から順次始まる新学習指導要領への対応は、高校にとって大きな変革とチャレンジになります。

 

各教科の内容についての大幅な改訂、選挙権年齢の18歳への引き下げに伴う教科「公共」の新設、「総合的な学習の時間」から「総合的な探究の時間」への変更など、さまざまあります。

 

そうした中で、全体を通底する重要な考え方は、①3つの柱として整理された資質・能力、②その育成のための「主体的・対話的で深い学び」(アクティブラーニング)の実現、③地域等の資源を活かすなど「社会に開かれた教育課程」の実現、④教科横断的な視点や学習成果の測定・評価に基づく「カリキュラム・マネジメント」の実現、の4点にあると思います。

 

なお、これら膨大な「理想」の実現は、教員個人に課せられるものというより、学校全体が責任を持って組織として臨むというスタンスが肝要でしょう。

 

そのためには、アクティブラーニングを例にとっても、以下のような「射程(距離)」と「範囲(拡がり)」の中で、より遠く、より広く捉えて、学校全体で臨む必要があるでしょう。

 

ALの射程(1近い→3遠い)

  1. 入試改革対応
  2. 進学後の学校、卒業後の社会移行への対応
  3. 中長期的な社会変革への対応

 

ALの範囲(1狭い→3広い)

  1. 教授技法として
  2. 学習方法として
  3. 成長・発達論として

 

自分の所属する組織は、ALの射程と範囲をどのように捉えて、この大改革に取り組もうとしている(取り組んでいる)でしょうか。

 

個別事項への個別対応ではなく、全体のグランドデザイン(改革ストーリー)を描いて、より効果的・効率的に取り組むことが大切になります。そのためにも、校長をはじめとする管理職のリーダーシップが、10年、20年後の学校の発展(衰退)を大きく左右するでしょう。

 

今後さらに加速する少子高齢化や、急速に進む人工知能(AI)などの技術革新がもたらす産業構造の変化に立ち向かうためには、生徒・学生一人一人の持つ潜在能力をこれまで以上に引き出していかないといけないと考えます。

 

暗くなる話題が多く、教育に課せられたミッションは重いですが、みなで知恵を出しながら楽観的に乗り越えていければと強く願います。

 

微力ながら、その一助となれるよう精進していきたいと思います。 

未来の大学教員,育ってます!

昨日より,当方が担当する大学院生向けのプレFD科目(「大学で教えるということ」)が始まっています。

 

2月8日,9日,13日の3日間,集中講義形式で,本学の大学院生10名が参加し,最終日の模擬授業に向けて熱心に取り組んでいます。

 

教育学研究科の院生を始め,人間・環境学研究科や地球環境学舎,アジア・アフリカ地域研究科の修士,博士,PDと多様な分野・学年の人が集まって,大学で教えるために必要な知識(アタマ)・態度(ココロ)・技能(カラダ)をがっちり鍛えます。

 

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異分野の院生たちで一つの授業を創り上げて,最終的には模擬授業・検討会を行います。

 

かなりいい授業が練り上げられています。

彼らを見ていると,日本の大学教育は明るいなと思います。

 

本学を修了した院生の多くは,全国さまざまな大学で教員になっていきます。

その意味でも,本学がこのような領域横断的なプレFDに関わることはとても重要だと思います。本当はもっと多くの院生に受講してもらえるといいのだけれど。。

 

彼らの多くは,自分が学んできた大学とは異なる大学・環境の中で教育に携わることになります。

 

戸惑うこともあるかもしれませんが,できるだけリアリティショックを受けずに,現代大学が抱える諸問題をたくましく克服していって欲しいと思います。

 

私自身,そんな思いを持って,授業をデザインして,多くの熱量を投入しています。

 

今日の授業は終了です、と言っても誰も帰る様子はなく、熱のこもった議論が続いています。

 

これこそが最良のアクティブラーニングですね。

 

このプログラムの修了証を持っている院生の教育実践力はかなり高いと思います。

 

人事に関わる先生方,ぜひご一考を!

 

研究上の3つの問い

この時期、修論や博論の提出とそれに伴う口頭試問や公聴会、大学院受験で提出された論文とそれに伴う口頭試験とで、たくさんの論文を読んで、たくさん面談します。

 

関係者のみなさん、お疲れさまです!

 

その過程で色んな分野の先生方ともやりとりをするので、とてもいい勉強になります。

 

また、研究職を目指す大学院生と日々接することは、こちらにとってもいい刺激になります。

 

そんな中で、研究を行う上で大事にして欲しい問いを3つほど紹介したいと思います。細かいテクニックは色々あるわけですが、上記の面談等を通じて、特に研究初期においては意識しておいて欲しいなと思ったので書き留めておこうかと。

 

1. オリジナリティは何か?

色んな先生が最も発している問いです。この問いに応えるのは容易ではありません。そのためには、以下のような点をクリアしないといけないからです。

 

  • 先行研究をしっかり読み込む
  • 自分の研究の位置づけを(多角的・相対的に)明確にする
  • 学術研究の作法を理解し、対応する
  • 研究を通じて得られたこと(成果)と得られなかったこと(課題)を自覚する

 

こうしたことを怠った研究で主張される「オリジナリティ」とは、結局のところ「独り善がり」なものでしかないのです。

 

大体、学生が主張するオリジナリティのほとんどは上記の点がクリアされていない、また、新しいと思っているもののほとんどは先行研究で説明出来てしまうものです。

 

学生はよく「(自分がやろうとしているテーマの)先行研究は少ない」と言います。聞いてみると、ピンポイントのキーワード検索のみで判断していることが多いです。でも、こんなキーワードも関連してるよね、なんて話していくと狭い視野で判断していることに気づきます。

 

とは言え、これは僕らでも難しいことです。

 

京大では早くからこうやってオリジナリティを磨くことの重要性を折に触れて問うています。

 

とどのつまりは、先行研究をめっちゃ読んで、徹底的に考え抜きましょう、ということになります。

 

2. リサーチクエスチョンは何か?

先行研究をたくさん読めばいい研究が出来るかというと、それだけでは十分ではありません。真面目な学生、社会人で学びに来ている学生などに見られがちですが、研究ではなく「お勉強」になってしまっています。

 

たくさん読んで、整理して、書き起こす。大事な作業ですが、その営みを通じて明らかにしたい問い(リサーチクエスチョン)があって始めて研究へと昇華します。僕が修士課程1年の学生に提供している必修科目の序盤では、ここを固めることに力を注ぎます。

 

その手前には、素朴な疑問(臨床的な問い/クリニカルクエスチョン)があり、それをRQの形に絞り込んでいきます。

 

RQが決まれば、自ずと最適な研究方法や分析技法の選択、結果の解釈の方向性も決まってきます。

 

なので、「いいRQ」はいい研究に必要不可欠だと思います。

 

そして、いいRQには、やはりたくさんの研究に触れて、研究の実現可能性や適切性について判断出来ていなければなりません。

 

自分は研究を通して何を明らかにしたいのか。シンプルですが、ここにこだわって見てください。

 

3. 誰に届けたいのか?

もう1つの問いは、その研究を誰に届けたいのか、です。

 

もちろん、純粋に事象を理解・解明したいという場合もあると思いますが、特に僕が関わっている高等教育などでは、とりわけこの問いが大切な気がしています。

 

言い方を変えれば、誰のための研究か、ということも出来ます。

 

「現場の教員のため」という学生は多いのですが、その研究、本当に現場に届くかな?と疑問を抱くことは少なくありません。

 

現場に役立つ研究だけが良い研究でないのは言うまでもないことですが、この問いは、自分の研究を評価・改善する上で大切じゃないかなと思います。

 

少し大げさな言い方ですが、たくさんの研究に触れていると誰に届けたくてこの研究をしているのか何となく分かるようになります。そうやって、論文という成果物を通じて「顔」が見えてくるとワクワクします。

 

そんな研究者を応援したいし、自分もそうありたいなと思います。

 

そんな研究者たちとつながれるといいな。

 

研究に携わる方々に少しでも想いが届きますように。

 

大学の組織力をエスノグラフィってみる

数回に渡って全国調査のデータから学生の実態と問題を見てきましたが、今回は大学側から見てみたいと思います。

 

大学の組織力を測る指標や調査って、方法論的にも実施面でも難しいですよね。大学としてどんなことをやっているか、といったことについては、毎年実施されている文科省の実態調査やら、認証評価、各種補助金申請などでも一部見ることは出来ますが。

 

今回はそういう調査データとかではなく、ちょっと違う視点(現場観察)から見てみたいと思います。

 

先に言っておきますが、とても主観的なものですので、絶対視は出来ません。あしからず。

 

当方、年間で大体25件(月に2回)程度、学外で講演・研修をさせてもらっています。これくらいが限度かなということで、ある程度調整しています。個別の大学でのものもあれば、多くの大学関係者が集まるシンポジウムなどもありますが、これまで150以上の大学に伺っていると思います。全国47都道府県制覇には及ばないものの、国公私立、都市・地方、大中小と様々な設置形態や規模の大学を訪れています。

 

その中で、講演会・研修会の当日はもちろん、最初の依頼から当日までのやりとりまで、色んな対応を経験しています。数年前まではどこもあんまり大差なかったように感じますが、最近は随分違うなぁという印象です。その経験から大学の組織力を、いくつかの観点で整理してみたいと思います。なお、ここで挙げているものは全て実体験になります。

 

【依頼時~当日】  (数値が大きい方が良い状態)

まず、依頼時から当日までのやりとりで、大体の雰囲気が分かります。

 

 (A.依頼者/やりとりをする人)

  1. 職員のみの場合(事務的にぬかりはないが、教員との温度差が大きい)(私立に多い)
  2. 教員のみの場合(事務的な点でモヤモヤすることが多く、従来的な教員-事務の構図)(国立に多い)
  3. 教員が依頼し、内容を詰めていき、職員が準備物などを対応する場合(両者が役割分担)(私立に多い)

 

(B.依頼時の内容)

  1. 何でもいいので先生の話したい内容で
  2. テーマが漠然としていたり、具体的に明示されない
  3. テーマに至る経緯を含めて具体的に設定されている
  4. 3に加えて、学内の状況が分かる資料を送ってくれる
  5. 3、4に加えて、私についても一定リサーチ済みで、その必然性も書かれている

 

【当日】

当日で組織力を感じるポイントはいくつかあります。会場、参加者(割合)、そして最も分かりやすいのは学長の参加かと思います。

 

(C.会場)

  1. 研修(特にワークショップ)に適した会場が用意されていない
  2. 設備やレイアウトなど準備が整っていない
  3. 教室配置や設備、レイアウトが適切に準備されている(事前に打合せ済み)

 

(D.参加者)

  1. 企画者による周知が不十分で、任意のため参加者が非常に少ない(その分、参加者は意欲的でやりやすいが組織的には不十分)(国立に多い)
  2. 教授会などに引っ掛けたり、出欠管理をしたりするなど、強制力が強いため参加者は多い(その分、参加者のモチベーションは多様でやりにくい)(私立に多い)
  3. きちんと周知をして、強制をするわけではないが、多くの教員が参加している(行って良かったと思える)(私立に多い)

 

(E.学長の参加)

  1. 全く登場せず
  2. 始まる前に案内されて名刺交換だけ
  3. 開会挨拶だけ
  4. 全体に参加(ワークショップ等には非参加)
  5. 全体に参加(ワークショップ等にも参加)
  6. 5の後に、別室にてディスカッション

 

特に、学長の参加度合いは非常に分かりやすい指標だと思います。というのも、上記5や6のような形で学長が会に参加している大学は、まだまだ少数ですが、先生方も熱心に参加していて、組織としての一体感を感じます。逆に、1~3のような大学は、たとえGP/APなどを多く取得していても、一部の先生方が必至に頑張っているけど、全体的に冷めた感じあるいは強い疲弊感が漂っているように思います。

 

他にも細々したポイントはありますが(キャンパスで遭遇する学生が挨拶してくるとか、事前のパワーランチが用意されているとか)、できればこちらも気持ちよく伺いたいなと思うので(やる気のある大学に行くとこちらもすごく元気をもらいます)、上記のポイントなんかは意識していたりします。

 

ちなみに、どういう形態、規模の大学が、上記のポイントのどういうタイプに属するかも大体把握出来ていますが、さすがにそこまでは書かないでおきます。

 

こんな記事を書くと、「山田に依頼するの嫌やなぁ」と思われそうですが、私も時間を割いて伺う以上、色んなことを学びたいと思っています。その点、ご了承ください。

 

今回は、これからの大学において一層重要になってくる組織力について、網羅的な実態調査などでは見えにくい側面を、講演・研修講師として伺う際の一連の対応という視点からみてみました。

進む!?中高のアクティブラーニング

‪昨日(1/27)は、当方が特別委員を務める東山中学・高等学校京都市左京区)の「アクティブラーニング実践研究会2017」でした。‬

 

朝から雪の降る中、全国から100名を越す学校関係者が参加されました。

 

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 (学校の隣は永観堂(写真)、反対側には南禅寺と、京都の歴史が感じられる好立地)

 

東山では2016年4月から「学習力強化プロジェクト特別委員会」を設置し、アクティブラーニングを核とした組織的な教育改革に取り組んでいます。

 

私は、2015年の夏に全体研修を担当以降、当該組織の設置を含め、およそ2年指導・助言に関わっています。今回の実践研究会は昨年度からはじめて2回目でした。

 

東山では、様々な取組を行っています。一例を挙げると、

 

  • 特別委員会の開催(月1回)
  • 各種ワーキンググループの開催(年6~8回程度)
  • 協同勉強会(年5回)
  • 授業公開(6月、9月、11月に各7~8授業)
  • 授業研究会(年2回)
  • ICT活用教育の推進
  • 広報誌『東山アクティブNEWS』の刊行(毎月)
  • 「10年カレンダー」や『3年日記』の開発・刊行
  • 「アクティブラーニング実践研究会」の開催(年1回)

 

などです。

 

以下のような動画も作成・配信しています。

アクティブラーニング実践研究会2016 02 - YouTube

 

中学・高等学校では、目下進行中の入試改革と学習指導要領改訂への対応から、組織的なアクティブラーニング(厳密には、「主体的・対話的で深い学び」)の実現に取り組んでいます。

 

この2つの改革が学校に与えるインパクトは大きく、改革は不可避です。大学に比べるとスピード感は早い感じがしていますが、その一方で現場の混乱も極めて大きい印象です。

 

私自身は、中高の学校改革に関与することによって、大学教育の課題を相対化できたり、生徒・学生の発達をより深く理解できたりするので、今まで以上に幅広く学生の学びと成長を捉えることが出来るようになった気がします。

 

昨日の実践研究会では、午前中に8つの授業公開と授業検討会を行いました。一番関係者と議論したのが、お昼のおもてなしでした。学食は生徒が利用するし、外にもあんまり食べる所がないし、お金を取るわけではないし、そもそもそれだけの人数が一堂に会してご飯を食べながら交流できる大部屋も難しいし、、結果、うまくいったのですが。

 

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(当日のプログラム)

 

午後は、東山の先生方からアクティブラーニングに関する取組とアクティブトランジションに関する取組を紹介してもらい、その後、私の方から「総括講演」を行いました。最後に、同僚でもある京都大学の溝上慎一先生に「特別講演」をお願いして、講評を行っていただきました。なかなか外の行事で一緒に登壇することはなかったので、楽しい時間でした。

 

今後ますます激しくなる動きにどう対応するか、学校の未来がかかっています。

 

また、この動きを睨みながら、大学はどう迅速に対応していくのか。

 

大変ですが、みんなで知恵を出しながら進めていきたいですね。

 

タイトルは「人生考路」で!

ブログのタイトル、はてなブログのデフォルト設定のままだったので、変えなきゃなぁと思っていました。

 

なかなか悩ましいものですね。

 

研究テーマだとちょっと固いし、長すぎるのも変だし。。ブログの内容とも関係しておきたいし。

 

シンプルに、自分を表現する言葉、モットーみたいなものはないものかと。

 

それで辿り着いたのが「人生"考"路」。

 

もちろん元々の漢字は「人生行路」なわけですが。

 

自分が一番好きなこと、人生を通じてやっていきたいことは何だろうって考えたときに浮かんできたのが「考える」という営みでした。

 

考えるのが好きだなって。

 

元々、人間という存在について考えるのが好きで心理学を勉強するようになり、心理学だけでは分からないので哲学や社会学も勉強したり。結局、人間を理解したいというのが根本にあるので、〇〇学をやりたいというより、様々な考え方ときにはデータを駆使して考え抜きたいんですね。

 

AIが仕事を奪う時代が到来して、社会も教育もその在り方が激変する中、パスカルの「考える葦」ではないですが、思考こそが人間が人間足りうる重要な営みなのだと思います。

 

ということで、このようなタイトルに決めました。

 

研究者として、人間として、地に足をつけて思考し、自分なりに表現していきたいです。

 

よろしくお願いします。

大学教育の役割って?

大学教育の役割って何なのでしょうか?

 

関連省庁や学術機関などから、大学教育を通じて身につけることが期待される能力(いわゆる学習成果)の枠組み(要素)が提示され、各大学はそれをディプロマポリシーなどの形で定義して、教育課程や授業に落とし込んで実施して、その成果を測定・評価して、、、というのが今の教育改革のスタンダードなわけですが。

 

たくさんの「〇〇力」が掲げられて、教員からすれば「そない色々できませんわ」、学生からすれば「いやいやスーパーマンになれってか」っていうのが心情かと。

 

政策に完全にアゲインストなわけじゃないし、総論としては理解できます。

 

でも、なんか大事なところが抜けてるような気がしてならないんですね。

 

たとえば、その1つが前回のブログで紹介した学生の教育・学習観に関する視点でした。大人が考えて色々やっても、学生の意識が変わらないあるいは受け身になっている、といった結果でした。(たくさんの方に読んでいただけたようで、この場を借りて御礼申し上げます。)

 

もう1つの視点は、一言で言えば「(心理的)発達」の視点です。

 

大学生の多くは、18歳~22歳の間を大学で過ごすことになります。この時期は、ライフサイクルの観点からみれば、青年期(より細かくは青年期後期)に相当し、次の成人期への移行にとって重要な時期になります。エリクソンによれば、この時期の重要な発達課題は「アイデンティティの確立」です。社会参画を前にして、重要な他者(親や親友、恋人など)との深い関わりや様々な物事への傾倒を通じて、「(他者とは違う)自分とは何者か」といった問いに一定の回答を出すことが求められます。親との適切な関係を確立し、心理的離乳を果たす、すなわちジリツすることも重要な課題になります。

 

ここで、過去の記事同様、ベネッセ総研が実施した大学生調査(2016年)から関連する結果を見てみたいと思います。

 

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色んな事情・背景はあると思うのですが、やっぱり気になってしまいます。社会に出る寸前の大学生の多くが、保護者のアドバイスに従うことが多かったり、保護者に助けてもらったりしている。これだけで判断できないところはありますが、この傾向が強まっていることは気になります。

 

こういうデータを見ると、学生が遭遇するこの発達のプロセスに対して、私たちオトナは、親として、あるいは教員として、職員としてどう関わるのか。そして、彼らの発達(アイデンティティやジリツ)をどう促すのか。やっぱり考えてしまいます。

 

また、こうした視点を抜きに、細分化された様々な〇〇力を、教育によって獲得させるという営みは、時に学生への過干渉や甘やかしなどにも繋がりかねません。何より教育で全てを担えると思っているのだとすれば、大人の傲慢な考え方だとも言えます。

 

学生は自分たちで成長・発達します。

 

私たち大人はその環境を用意することが大事であって、手取り足取りやってあげることではないんだと思います。

 

以下のような結果も出ています。

 

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これは、大学教育を提供する大学側(大人)と教育を受ける側(学生)との関係を表すものとしてみることもできます。学習方法を授業で教えて欲しい、学生生活について指導・支援して欲しい、自分たちが知識・技能を身につけられないのは大学教育の責任だ、と感じている学生が年々増えています。絶対値を見れば、まだまだ自分で決めるという考え方の学生の方が多いわけですが、結構なペースで増えているのが気になります。

 

これらのデータを見ると、保護者との依存的関係を、大学(教職員)が肩代わりして継続させるような関わりをしてしまっているのではないかというのが、私がかねてより気になっているところです。

 

学生がこのように考えているからそのように教育を変える、というのではなく、どうすれば学生が自分の頭で考えて実践してくれるようになるのか。そのように考え、それを自分たちで出来るような環境を整えることが、直接的な対策を講じること以上に大切な気がします。

 

こうした状況に対して、少なくとも大学教育はどのようなことを大事に考え、実践していかないといけないのかといった問いに対する私自身の回答は、改めて記事化したいと思います。

 

その回答に関わることを一言述べるとすれば、今の教育改革には不信感が蔓延しすぎているように感じます。不信感は管理(的思考)と結びつく。管理は人から「熱意」を奪う。熱意は、学生の成長・発達に関わるうえで最も重要な要素だと考えています。

 

とりとめのない文章ですみません。

きれいに推敲しない方が思いが伝えやすいので、ご容赦ください。