人生考路

個人と社会のウェルビーイングを高める教育と学びを探究する

研究上の3つの問い

この時期、修論や博論の提出とそれに伴う口頭試問や公聴会、大学院受験で提出された論文とそれに伴う口頭試験とで、たくさんの論文を読んで、たくさん面談します。

 

関係者のみなさん、お疲れさまです!

 

その過程で色んな分野の先生方ともやりとりをするので、とてもいい勉強になります。

 

また、研究職を目指す大学院生と日々接することは、こちらにとってもいい刺激になります。

 

そんな中で、研究を行う上で大事にして欲しい問いを3つほど紹介したいと思います。細かいテクニックは色々あるわけですが、上記の面談等を通じて、特に研究初期においては意識しておいて欲しいなと思ったので書き留めておこうかと。

 

1. オリジナリティは何か?

色んな先生が最も発している問いです。この問いに応えるのは容易ではありません。そのためには、以下のような点をクリアしないといけないからです。

 

  • 先行研究をしっかり読み込む
  • 自分の研究の位置づけを(多角的・相対的に)明確にする
  • 学術研究の作法を理解し、対応する
  • 研究を通じて得られたこと(成果)と得られなかったこと(課題)を自覚する

 

こうしたことを怠った研究で主張される「オリジナリティ」とは、結局のところ「独り善がり」なものでしかないのです。

 

大体、学生が主張するオリジナリティのほとんどは上記の点がクリアされていない、また、新しいと思っているもののほとんどは先行研究で説明出来てしまうものです。

 

学生はよく「(自分がやろうとしているテーマの)先行研究は少ない」と言います。聞いてみると、ピンポイントのキーワード検索のみで判断していることが多いです。でも、こんなキーワードも関連してるよね、なんて話していくと狭い視野で判断していることに気づきます。

 

とは言え、これは僕らでも難しいことです。

 

京大では早くからこうやってオリジナリティを磨くことの重要性を折に触れて問うています。

 

とどのつまりは、先行研究をめっちゃ読んで、徹底的に考え抜きましょう、ということになります。

 

2. リサーチクエスチョンは何か?

先行研究をたくさん読めばいい研究が出来るかというと、それだけでは十分ではありません。真面目な学生、社会人で学びに来ている学生などに見られがちですが、研究ではなく「お勉強」になってしまっています。

 

たくさん読んで、整理して、書き起こす。大事な作業ですが、その営みを通じて明らかにしたい問い(リサーチクエスチョン)があって始めて研究へと昇華します。僕が修士課程1年の学生に提供している必修科目の序盤では、ここを固めることに力を注ぎます。

 

その手前には、素朴な疑問(臨床的な問い/クリニカルクエスチョン)があり、それをRQの形に絞り込んでいきます。

 

RQが決まれば、自ずと最適な研究方法や分析技法の選択、結果の解釈の方向性も決まってきます。

 

なので、「いいRQ」はいい研究に必要不可欠だと思います。

 

そして、いいRQには、やはりたくさんの研究に触れて、研究の実現可能性や適切性について判断出来ていなければなりません。

 

自分は研究を通して何を明らかにしたいのか。シンプルですが、ここにこだわって見てください。

 

3. 誰に届けたいのか?

もう1つの問いは、その研究を誰に届けたいのか、です。

 

もちろん、純粋に事象を理解・解明したいという場合もあると思いますが、特に僕が関わっている高等教育などでは、とりわけこの問いが大切な気がしています。

 

言い方を変えれば、誰のための研究か、ということも出来ます。

 

「現場の教員のため」という学生は多いのですが、その研究、本当に現場に届くかな?と疑問を抱くことは少なくありません。

 

現場に役立つ研究だけが良い研究でないのは言うまでもないことですが、この問いは、自分の研究を評価・改善する上で大切じゃないかなと思います。

 

少し大げさな言い方ですが、たくさんの研究に触れていると誰に届けたくてこの研究をしているのか何となく分かるようになります。そうやって、論文という成果物を通じて「顔」が見えてくるとワクワクします。

 

そんな研究者を応援したいし、自分もそうありたいなと思います。

 

そんな研究者たちとつながれるといいな。

 

研究に携わる方々に少しでも想いが届きますように。

 

大学の組織力をエスノグラフィってみる

数回に渡って全国調査のデータから学生の実態と問題を見てきましたが、今回は大学側から見てみたいと思います。

 

大学の組織力を測る指標や調査って、方法論的にも実施面でも難しいですよね。大学としてどんなことをやっているか、といったことについては、毎年実施されている文科省の実態調査やら、認証評価、各種補助金申請などでも一部見ることは出来ますが。

 

今回はそういう調査データとかではなく、ちょっと違う視点(現場観察)から見てみたいと思います。

 

先に言っておきますが、とても主観的なものですので、絶対視は出来ません。あしからず。

 

当方、年間で大体25件(月に2回)程度、学外で講演・研修をさせてもらっています。これくらいが限度かなということで、ある程度調整しています。個別の大学でのものもあれば、多くの大学関係者が集まるシンポジウムなどもありますが、これまで150以上の大学に伺っていると思います。全国47都道府県制覇には及ばないものの、国公私立、都市・地方、大中小と様々な設置形態や規模の大学を訪れています。

 

その中で、講演会・研修会の当日はもちろん、最初の依頼から当日までのやりとりまで、色んな対応を経験しています。数年前まではどこもあんまり大差なかったように感じますが、最近は随分違うなぁという印象です。その経験から大学の組織力を、いくつかの観点で整理してみたいと思います。なお、ここで挙げているものは全て実体験になります。

 

【依頼時~当日】  (数値が大きい方が良い状態)

まず、依頼時から当日までのやりとりで、大体の雰囲気が分かります。

 

 (A.依頼者/やりとりをする人)

  1. 職員のみの場合(事務的にぬかりはないが、教員との温度差が大きい)(私立に多い)
  2. 教員のみの場合(事務的な点でモヤモヤすることが多く、従来的な教員-事務の構図)(国立に多い)
  3. 教員が依頼し、内容を詰めていき、職員が準備物などを対応する場合(両者が役割分担)(私立に多い)

 

(B.依頼時の内容)

  1. 何でもいいので先生の話したい内容で
  2. テーマが漠然としていたり、具体的に明示されない
  3. テーマに至る経緯を含めて具体的に設定されている
  4. 3に加えて、学内の状況が分かる資料を送ってくれる
  5. 3、4に加えて、私についても一定リサーチ済みで、その必然性も書かれている

 

【当日】

当日で組織力を感じるポイントはいくつかあります。会場、参加者(割合)、そして最も分かりやすいのは学長の参加かと思います。

 

(C.会場)

  1. 研修(特にワークショップ)に適した会場が用意されていない
  2. 設備やレイアウトなど準備が整っていない
  3. 教室配置や設備、レイアウトが適切に準備されている(事前に打合せ済み)

 

(D.参加者)

  1. 企画者による周知が不十分で、任意のため参加者が非常に少ない(その分、参加者は意欲的でやりやすいが組織的には不十分)(国立に多い)
  2. 教授会などに引っ掛けたり、出欠管理をしたりするなど、強制力が強いため参加者は多い(その分、参加者のモチベーションは多様でやりにくい)(私立に多い)
  3. きちんと周知をして、強制をするわけではないが、多くの教員が参加している(行って良かったと思える)(私立に多い)

 

(E.学長の参加)

  1. 全く登場せず
  2. 始まる前に案内されて名刺交換だけ
  3. 開会挨拶だけ
  4. 全体に参加(ワークショップ等には非参加)
  5. 全体に参加(ワークショップ等にも参加)
  6. 5の後に、別室にてディスカッション

 

特に、学長の参加度合いは非常に分かりやすい指標だと思います。というのも、上記5や6のような形で学長が会に参加している大学は、まだまだ少数ですが、先生方も熱心に参加していて、組織としての一体感を感じます。逆に、1~3のような大学は、たとえGP/APなどを多く取得していても、一部の先生方が必至に頑張っているけど、全体的に冷めた感じあるいは強い疲弊感が漂っているように思います。

 

他にも細々したポイントはありますが(キャンパスで遭遇する学生が挨拶してくるとか、事前のパワーランチが用意されているとか)、できればこちらも気持ちよく伺いたいなと思うので(やる気のある大学に行くとこちらもすごく元気をもらいます)、上記のポイントなんかは意識していたりします。

 

ちなみに、どういう形態、規模の大学が、上記のポイントのどういうタイプに属するかも大体把握出来ていますが、さすがにそこまでは書かないでおきます。

 

こんな記事を書くと、「山田に依頼するの嫌やなぁ」と思われそうですが、私も時間を割いて伺う以上、色んなことを学びたいと思っています。その点、ご了承ください。

 

今回は、これからの大学において一層重要になってくる組織力について、網羅的な実態調査などでは見えにくい側面を、講演・研修講師として伺う際の一連の対応という視点からみてみました。

進む!?中高のアクティブラーニング

‪昨日(1/27)は、当方が特別委員を務める東山中学・高等学校京都市左京区)の「アクティブラーニング実践研究会2017」でした。‬

 

朝から雪の降る中、全国から100名を越す学校関係者が参加されました。

 

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 (学校の隣は永観堂(写真)、反対側には南禅寺と、京都の歴史が感じられる好立地)

 

東山では2016年4月から「学習力強化プロジェクト特別委員会」を設置し、アクティブラーニングを核とした組織的な教育改革に取り組んでいます。

 

私は、2015年の夏に全体研修を担当以降、当該組織の設置を含め、およそ2年指導・助言に関わっています。今回の実践研究会は昨年度からはじめて2回目でした。

 

東山では、様々な取組を行っています。一例を挙げると、

 

  • 特別委員会の開催(月1回)
  • 各種ワーキンググループの開催(年6~8回程度)
  • 協同勉強会(年5回)
  • 授業公開(6月、9月、11月に各7~8授業)
  • 授業研究会(年2回)
  • ICT活用教育の推進
  • 広報誌『東山アクティブNEWS』の刊行(毎月)
  • 「10年カレンダー」や『3年日記』の開発・刊行
  • 「アクティブラーニング実践研究会」の開催(年1回)

 

などです。

 

以下のような動画も作成・配信しています。

アクティブラーニング実践研究会2016 02 - YouTube

 

中学・高等学校では、目下進行中の入試改革と学習指導要領改訂への対応から、組織的なアクティブラーニング(厳密には、「主体的・対話的で深い学び」)の実現に取り組んでいます。

 

この2つの改革が学校に与えるインパクトは大きく、改革は不可避です。大学に比べるとスピード感は早い感じがしていますが、その一方で現場の混乱も極めて大きい印象です。

 

私自身は、中高の学校改革に関与することによって、大学教育の課題を相対化できたり、生徒・学生の発達をより深く理解できたりするので、今まで以上に幅広く学生の学びと成長を捉えることが出来るようになった気がします。

 

昨日の実践研究会では、午前中に8つの授業公開と授業検討会を行いました。一番関係者と議論したのが、お昼のおもてなしでした。学食は生徒が利用するし、外にもあんまり食べる所がないし、お金を取るわけではないし、そもそもそれだけの人数が一堂に会してご飯を食べながら交流できる大部屋も難しいし、、結果、うまくいったのですが。

 

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(当日のプログラム)

 

午後は、東山の先生方からアクティブラーニングに関する取組とアクティブトランジションに関する取組を紹介してもらい、その後、私の方から「総括講演」を行いました。最後に、同僚でもある京都大学の溝上慎一先生に「特別講演」をお願いして、講評を行っていただきました。なかなか外の行事で一緒に登壇することはなかったので、楽しい時間でした。

 

今後ますます激しくなる動きにどう対応するか、学校の未来がかかっています。

 

また、この動きを睨みながら、大学はどう迅速に対応していくのか。

 

大変ですが、みんなで知恵を出しながら進めていきたいですね。

 

タイトルは「人生考路」で!

ブログのタイトル、はてなブログのデフォルト設定のままだったので、変えなきゃなぁと思っていました。

 

なかなか悩ましいものですね。

 

研究テーマだとちょっと固いし、長すぎるのも変だし。。ブログの内容とも関係しておきたいし。

 

シンプルに、自分を表現する言葉、モットーみたいなものはないものかと。

 

それで辿り着いたのが「人生"考"路」。

 

もちろん元々の漢字は「人生行路」なわけですが。

 

自分が一番好きなこと、人生を通じてやっていきたいことは何だろうって考えたときに浮かんできたのが「考える」という営みでした。

 

考えるのが好きだなって。

 

元々、人間という存在について考えるのが好きで心理学を勉強するようになり、心理学だけでは分からないので哲学や社会学も勉強したり。結局、人間を理解したいというのが根本にあるので、〇〇学をやりたいというより、様々な考え方ときにはデータを駆使して考え抜きたいんですね。

 

AIが仕事を奪う時代が到来して、社会も教育もその在り方が激変する中、パスカルの「考える葦」ではないですが、思考こそが人間が人間足りうる重要な営みなのだと思います。

 

ということで、このようなタイトルに決めました。

 

研究者として、人間として、地に足をつけて思考し、自分なりに表現していきたいです。

 

よろしくお願いします。

大学教育の役割って?

大学教育の役割って何なのでしょうか?

 

関連省庁や学術機関などから、大学教育を通じて身につけることが期待される能力(いわゆる学習成果)の枠組み(要素)が提示され、各大学はそれをディプロマポリシーなどの形で定義して、教育課程や授業に落とし込んで実施して、その成果を測定・評価して、、、というのが今の教育改革のスタンダードなわけですが。

 

たくさんの「〇〇力」が掲げられて、教員からすれば「そない色々できませんわ」、学生からすれば「いやいやスーパーマンになれってか」っていうのが心情かと。

 

政策に完全にアゲインストなわけじゃないし、総論としては理解できます。

 

でも、なんか大事なところが抜けてるような気がしてならないんですね。

 

たとえば、その1つが前回のブログで紹介した学生の教育・学習観に関する視点でした。大人が考えて色々やっても、学生の意識が変わらないあるいは受け身になっている、といった結果でした。(たくさんの方に読んでいただけたようで、この場を借りて御礼申し上げます。)

 

もう1つの視点は、一言で言えば「(心理的)発達」の視点です。

 

大学生の多くは、18歳~22歳の間を大学で過ごすことになります。この時期は、ライフサイクルの観点からみれば、青年期(より細かくは青年期後期)に相当し、次の成人期への移行にとって重要な時期になります。エリクソンによれば、この時期の重要な発達課題は「アイデンティティの確立」です。社会参画を前にして、重要な他者(親や親友、恋人など)との深い関わりや様々な物事への傾倒を通じて、「(他者とは違う)自分とは何者か」といった問いに一定の回答を出すことが求められます。親との適切な関係を確立し、心理的離乳を果たす、すなわちジリツすることも重要な課題になります。

 

ここで、過去の記事同様、ベネッセ総研が実施した大学生調査(2016年)から関連する結果を見てみたいと思います。

 

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色んな事情・背景はあると思うのですが、やっぱり気になってしまいます。社会に出る寸前の大学生の多くが、保護者のアドバイスに従うことが多かったり、保護者に助けてもらったりしている。これだけで判断できないところはありますが、この傾向が強まっていることは気になります。

 

こういうデータを見ると、学生が遭遇するこの発達のプロセスに対して、私たちオトナは、親として、あるいは教員として、職員としてどう関わるのか。そして、彼らの発達(アイデンティティやジリツ)をどう促すのか。やっぱり考えてしまいます。

 

また、こうした視点を抜きに、細分化された様々な〇〇力を、教育によって獲得させるという営みは、時に学生への過干渉や甘やかしなどにも繋がりかねません。何より教育で全てを担えると思っているのだとすれば、大人の傲慢な考え方だとも言えます。

 

学生は自分たちで成長・発達します。

 

私たち大人はその環境を用意することが大事であって、手取り足取りやってあげることではないんだと思います。

 

以下のような結果も出ています。

 

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これは、大学教育を提供する大学側(大人)と教育を受ける側(学生)との関係を表すものとしてみることもできます。学習方法を授業で教えて欲しい、学生生活について指導・支援して欲しい、自分たちが知識・技能を身につけられないのは大学教育の責任だ、と感じている学生が年々増えています。絶対値を見れば、まだまだ自分で決めるという考え方の学生の方が多いわけですが、結構なペースで増えているのが気になります。

 

これらのデータを見ると、保護者との依存的関係を、大学(教職員)が肩代わりして継続させるような関わりをしてしまっているのではないかというのが、私がかねてより気になっているところです。

 

学生がこのように考えているからそのように教育を変える、というのではなく、どうすれば学生が自分の頭で考えて実践してくれるようになるのか。そのように考え、それを自分たちで出来るような環境を整えることが、直接的な対策を講じること以上に大切な気がします。

 

こうした状況に対して、少なくとも大学教育はどのようなことを大事に考え、実践していかないといけないのかといった問いに対する私自身の回答は、改めて記事化したいと思います。

 

その回答に関わることを一言述べるとすれば、今の教育改革には不信感が蔓延しすぎているように感じます。不信感は管理(的思考)と結びつく。管理は人から「熱意」を奪う。熱意は、学生の成長・発達に関わるうえで最も重要な要素だと考えています。

 

とりとめのない文章ですみません。

きれいに推敲しない方が思いが伝えやすいので、ご容赦ください。

拡がるAL、変わる!?学生の学習観

今回は学生の学びに対する意識の変化に関するデータをもとに考えてみたいと思います。

 

データソースは過去2回の記事同様、ベネッセ総研の全国大学生調査2016です。

 

2017年の夏にプレスリリースを行った際に最も反響があったものです。

 

項目名としては、大学教育観と呼んでいて、2008年の第1回から継続的に取っています。大学教育(授業やカリキュラム)や学生支援(キャリアや学生生活)などについてABどちらの考え方に近いかを選んでもらいます。ざっくりとした評定法なので統計的にはなかなか触りにくい項目ですが、逆にその分かりやすさからメディアなどで取り上げられたりもします。私たちは、大学関係者のみならず、多様なステークホルダーに対しても情報を伝え、理解を促す必要があります。同時に、必ずしも美しい学術のロジックとは異なることも理解しつつ、誤解や誤認があることも踏まえて、多様な対話への回路を開かないといけない。この調査に長く関わる中で、そんなこともよく考えます。

 

さて、話を戻すと、そんな大学教育観の中から主に授業に関する考え方(授業観あるいは学習観)の4項目をピックアップします。

 

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特に一番上の項目の変化が大きくなっています。「あまり興味がなくても、単位を楽にとれる授業がよい」か「単位をとるのが難しくても、自分の興味のある授業がよい」かを選ぶ項目で、前者を選ぶ学生の割合が、2008年、2012年、そして2016年と回を追うごとに増えていっています。

 

他にも、演習形式より講義形式がいいと考える学生は若干減少するも、およそ8割存在していたり、学習方法は自分で考えるより、大学で教えてもらうものと考える学生が回を追うごとに増えていっていたりしています。

 

こうした結果をどのように捉えることが出来るでしょうか。

 

2008年から2016年の間は、大学改革が歴史的に見てもかなりのペースで進めることが求められてきた期間だと思います。教授から学習への転換というコンセプトの元、FDの義務化や「学士力」議論に始まるカリキュラム改革、育成方略としての「アクティブラーニング」の推進、それらを通じて獲得された「学習成果」の測定・可視化など、さまざまな質保証ツールが取り入れられています。

 

そういう時期に過ごす学生らの考え方として見ると、私たちの期待とは逆の方向に進んでいるようにも見えます。

 

解釈は色々あると思います。

  • そもそもそこまで教育改革が進んでいない
  • アクティブラーニングが効果的に実施されていない、誤った理解の元で実施されている
  • 上記のような大学側の考え方が学生に周知徹底されていない
  • そもそも大学で教育を受けるためのレディネスが整っていない
  • 中高の進路指導が大学で進められている教育改革について十分に理解できておらず、生徒が入学後にミスマッチを経験してしまう

 

挙げればキリがありませんが、いずれにせよ日本の学生のこうした様態は、特定の誰か、の責任ではなく、ステークホルダーを含む子どもに関わる全ての大人にあると考えないと、この根深い構造的な問題は解決できないでしょう。

 

なお、これまでに研究報告もしてきましたが、こうした学生の学習に対する考え方は、学習への取組や、得られる成果に大きく影響してきます。ですので、この学習観は極めて重要な変数だと考えています。

 

改めて、誰のための、何のための教育改革なのか、政策に流されるあまりに見誤ってしまってはいないか、目の前の学生をより深く理解することが何においても大切なのだと思います。

 

結構効いてくる!?入学時の行動タイプ

前回に引き続き、もう少しベネッセの大学生調査の結果から考えてみたいと思います。

 

本調査では、以下のような行動タイプを入学時と現在とで聞いています。

 

①自分から積極的にやりたいことは探してやる

②与えられれば興味をもってやる

③与えられても、よほど興味がなければやらない

 

その割合が下図です。 

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単純な項目ですが、これが結構色んな変数と効いてくるんです。この項目は、同研究所が2015年に約20,000人の社会人を対象に実施した「大学での学びと成長に関するふりかえり調査」で設定して分析していました。その時にも様々な変数と関係(積極的なタイプはそうでないタイプよりポジティブに関係)していることが示されました。

 

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その傾向は大学生でも同様でした。入学時にどのような行動タイプを有しているかで、入学後の学習への関わり方や得られる成果などに差異が見られるというものです。

 

割合としては主体的行動タイプの学生は約3割ということになります。逆に4人に1人は、非常に消極的な行動タイプの学生です。アドミッションポリシーや入試などで、大半の大学では意欲・関心・態度を評価項目に含んでいるわけですが、このあたりの整合性はどう見たら良いのでしょうか。

 

ちなみに、本調査では、現時点でどうかという点についても聞いています。 

 

しかし、全体の割合は入学時とあまり変化がありません。これは同一学生で見たときに変化していないのでしょうか。物事(学習など)に対する捉え方や関わり方はなかなか変わりにくいといった指摘あるいは変化しやすいといった指摘もあります。

 

まず、入学時と現在との間の関連について、相関係数を算出したところ、r=.200(p<0.1)と非常に弱いものでした。これを見ると、在学中に変化していることが予想されます。

 

次に、入学時と現在とをクロスさせて、変化の傾向について見てみます(下図)。

 

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  • 「変化なし」を合わせると、44.8%と全体の半数近くは入学時と変化していないという結果でした。
  • 「向上変化」を合わせると、30.5%とおよそ3人に一人という結果です。こうした学生がなぜ向上したのか、特に、入学時には非常に消極的だった学生が、積極的になったケース(L→H)(6.2%)など、さらに細かく見ていくことで大学教育の課題解決の糸口が見えてくるかもしれません。
  • 逆に、「低下変化」を合わせると、24.7%とおよそ4人に一人が入学後に消極的な行動パターンへと変化しています。特に、入学時には非常に積極的だった学生が、消極的になったケース(6.1%)など、さらに細かく分析することは有益でしょう。 

 

もちろん、回顧式調査という制約上、結果の解釈には一定留意する必要はありますが、入学時の行動タイプという指標は、在学中の「伸び代」を予測する上で効果的な変数の1つではないでしょうか。

 

 

学生の満足度、なぜ下がるのか

学生の満足度調査は多くの大学で実施されていると思います。

 

満足度は大学教育の成果として重要な指標の1つでしょう。各大学では、満足度の向上を目標に掲げ、様々な教育・学習環境の整備を行っています。

 

ベネッセ教育総研が2008年から4年ごとに実施している全国大学生調査の3回目の結果が先般アップされました。

 

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私も第1回調査から研究メンバーとして関わってきているのですが、データを見ていて気になる点について考えてみたいと思います。

 

その1つが学生の満足度の低下です。

 

この10年余、大学教育改革は一定進展し、学生を取り巻く教育・学習環境はより良いものになっていると思います。そう言い切って問題ないと思います。

 

にも関わらず、調査を行うごとにあらゆる面での満足度が低下しているのです。

 

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上記報告書p.19より抜粋)

 

この結果をどう解釈することが出来るでしょうか。

 

個人の満足度(感情)は相対的なもので決まると思います。

 

  • 大学全体が環境整備に着手する前は、みんな「そんなもの」だと思っている。だから特に不満足感を覚えない。
  • 環境整備が進むと(いくら進んでも、どこを見渡してもという状況になるのはほぼ不可能に近い)、「あれ、なんかあの学部、あの部署、あの先生、あの職員、いい感じやん。それに比べてうちの・・・」となる。だから不満という感情が相対的に生起されてしまう。
  • SNSの発展で、大学を超えて学生同士が情報共有することで更に相対化される。しかも、正の情報より負の情報の方が発信・拡散されやすいので、その部分が強化されてしまう。

 

もっと広げて言うと、大学全体が、社会全体が、CS(顧客満足度)を重視した利便性の追求を行うことによって、学生の中の「やってもらって当たり前」「不便=不満」という意識が醸成されているという側面もあるかもしれません。

 

これは、学生の学びへの受動性(あるいは自律性)とも絡む問題で、結構根が深いものだと考えます。

 

大学経営が厳しい中、満足度は進路選択や在留率にも影響することから、無視は出来ないものの、その在り方は上記のような形で変動してしまうため、関係者は注意して捉える必要があるように思います。

 

なかなか悩ましい問題です。

 

みなさんの大学では、いかがでしょうか。

ぜひ、経年で比較して、なぜそのような変化が生じているのかを考えてみると良いのではないでしょうか。

 

ちなみに、現在、申込期間中ですが、この調査をベースに教員、職員、学生でこれからの教育を創造するワークショップを実施します。こんな風にデータを読みながら、これまでの足跡を振り返り、声を重ねながら、これからの教育を考える、そんな機会に足を運んでみませんか。

 

berd.benesse.jp

はてなブログはじめてみます!

2018年に入り、大台にも突入したし、自分自身の棚卸しをしようと思って、ブログも見直そうということになり。

 

今までは、自身のHP(yamatuyo.com)を格納しているレンタルサーバーに付属するブログを使ってきたのですが、もうちょっと今っぽさと使いやすさを備えたブログサービスないかなぁということで、思い切って登録してみました。

 

www.yamatuyo.com

 

ちなみに、これまでに執筆・公開してきたブログです(2008年12月〜2018年1月)。

 

yamatuyo.sblo.jp

 

ぼちぼち慣れていきたいなと思います。

 

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(ドローイングソフトで書いてみました!) 

 

よろしくお願いしますf^^*)