人生考路

個人と社会のウェルビーイングを高める教育と学びを探究する

タイトルは「人生考路」で!

ブログのタイトル、はてなブログのデフォルト設定のままだったので、変えなきゃなぁと思っていました。

 

なかなか悩ましいものですね。

 

研究テーマだとちょっと固いし、長すぎるのも変だし。。ブログの内容とも関係しておきたいし。

 

シンプルに、自分を表現する言葉、モットーみたいなものはないものかと。

 

それで辿り着いたのが「人生"考"路」。

 

もちろん元々の漢字は「人生行路」なわけですが。

 

自分が一番好きなこと、人生を通じてやっていきたいことは何だろうって考えたときに浮かんできたのが「考える」という営みでした。

 

考えるのが好きだなって。

 

元々、人間という存在について考えるのが好きで心理学を勉強するようになり、心理学だけでは分からないので哲学や社会学も勉強したり。結局、人間を理解したいというのが根本にあるので、〇〇学をやりたいというより、様々な考え方ときにはデータを駆使して考え抜きたいんですね。

 

AIが仕事を奪う時代が到来して、社会も教育もその在り方が激変する中、パスカルの「考える葦」ではないですが、思考こそが人間が人間足りうる重要な営みなのだと思います。

 

ということで、このようなタイトルに決めました。

 

研究者として、人間として、地に足をつけて思考し、自分なりに表現していきたいです。

 

よろしくお願いします。

大学教育の役割って?

大学教育の役割って何なのでしょうか?

 

関連省庁や学術機関などから、大学教育を通じて身につけることが期待される能力(いわゆる学習成果)の枠組み(要素)が提示され、各大学はそれをディプロマポリシーなどの形で定義して、教育課程や授業に落とし込んで実施して、その成果を測定・評価して、、、というのが今の教育改革のスタンダードなわけですが。

 

たくさんの「〇〇力」が掲げられて、教員からすれば「そない色々できませんわ」、学生からすれば「いやいやスーパーマンになれってか」っていうのが心情かと。

 

政策に完全にアゲインストなわけじゃないし、総論としては理解できます。

 

でも、なんか大事なところが抜けてるような気がしてならないんですね。

 

たとえば、その1つが前回のブログで紹介した学生の教育・学習観に関する視点でした。大人が考えて色々やっても、学生の意識が変わらないあるいは受け身になっている、といった結果でした。(たくさんの方に読んでいただけたようで、この場を借りて御礼申し上げます。)

 

もう1つの視点は、一言で言えば「(心理的)発達」の視点です。

 

大学生の多くは、18歳~22歳の間を大学で過ごすことになります。この時期は、ライフサイクルの観点からみれば、青年期(より細かくは青年期後期)に相当し、次の成人期への移行にとって重要な時期になります。エリクソンによれば、この時期の重要な発達課題は「アイデンティティの確立」です。社会参画を前にして、重要な他者(親や親友、恋人など)との深い関わりや様々な物事への傾倒を通じて、「(他者とは違う)自分とは何者か」といった問いに一定の回答を出すことが求められます。親との適切な関係を確立し、心理的離乳を果たす、すなわちジリツすることも重要な課題になります。

 

ここで、過去の記事同様、ベネッセ総研が実施した大学生調査(2016年)から関連する結果を見てみたいと思います。

 

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色んな事情・背景はあると思うのですが、やっぱり気になってしまいます。社会に出る寸前の大学生の多くが、保護者のアドバイスに従うことが多かったり、保護者に助けてもらったりしている。これだけで判断できないところはありますが、この傾向が強まっていることは気になります。

 

こういうデータを見ると、学生が遭遇するこの発達のプロセスに対して、私たちオトナは、親として、あるいは教員として、職員としてどう関わるのか。そして、彼らの発達(アイデンティティやジリツ)をどう促すのか。やっぱり考えてしまいます。

 

また、こうした視点を抜きに、細分化された様々な〇〇力を、教育によって獲得させるという営みは、時に学生への過干渉や甘やかしなどにも繋がりかねません。何より教育で全てを担えると思っているのだとすれば、大人の傲慢な考え方だとも言えます。

 

学生は自分たちで成長・発達します。

 

私たち大人はその環境を用意することが大事であって、手取り足取りやってあげることではないんだと思います。

 

以下のような結果も出ています。

 

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これは、大学教育を提供する大学側(大人)と教育を受ける側(学生)との関係を表すものとしてみることもできます。学習方法を授業で教えて欲しい、学生生活について指導・支援して欲しい、自分たちが知識・技能を身につけられないのは大学教育の責任だ、と感じている学生が年々増えています。絶対値を見れば、まだまだ自分で決めるという考え方の学生の方が多いわけですが、結構なペースで増えているのが気になります。

 

これらのデータを見ると、保護者との依存的関係を、大学(教職員)が肩代わりして継続させるような関わりをしてしまっているのではないかというのが、私がかねてより気になっているところです。

 

学生がこのように考えているからそのように教育を変える、というのではなく、どうすれば学生が自分の頭で考えて実践してくれるようになるのか。そのように考え、それを自分たちで出来るような環境を整えることが、直接的な対策を講じること以上に大切な気がします。

 

こうした状況に対して、少なくとも大学教育はどのようなことを大事に考え、実践していかないといけないのかといった問いに対する私自身の回答は、改めて記事化したいと思います。

 

その回答に関わることを一言述べるとすれば、今の教育改革には不信感が蔓延しすぎているように感じます。不信感は管理(的思考)と結びつく。管理は人から「熱意」を奪う。熱意は、学生の成長・発達に関わるうえで最も重要な要素だと考えています。

 

とりとめのない文章ですみません。

きれいに推敲しない方が思いが伝えやすいので、ご容赦ください。

拡がるAL、変わる!?学生の学習観

今回は学生の学びに対する意識の変化に関するデータをもとに考えてみたいと思います。

 

データソースは過去2回の記事同様、ベネッセ総研の全国大学生調査2016です。

 

2017年の夏にプレスリリースを行った際に最も反響があったものです。

 

項目名としては、大学教育観と呼んでいて、2008年の第1回から継続的に取っています。大学教育(授業やカリキュラム)や学生支援(キャリアや学生生活)などについてABどちらの考え方に近いかを選んでもらいます。ざっくりとした評定法なので統計的にはなかなか触りにくい項目ですが、逆にその分かりやすさからメディアなどで取り上げられたりもします。私たちは、大学関係者のみならず、多様なステークホルダーに対しても情報を伝え、理解を促す必要があります。同時に、必ずしも美しい学術のロジックとは異なることも理解しつつ、誤解や誤認があることも踏まえて、多様な対話への回路を開かないといけない。この調査に長く関わる中で、そんなこともよく考えます。

 

さて、話を戻すと、そんな大学教育観の中から主に授業に関する考え方(授業観あるいは学習観)の4項目をピックアップします。

 

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特に一番上の項目の変化が大きくなっています。「あまり興味がなくても、単位を楽にとれる授業がよい」か「単位をとるのが難しくても、自分の興味のある授業がよい」かを選ぶ項目で、前者を選ぶ学生の割合が、2008年、2012年、そして2016年と回を追うごとに増えていっています。

 

他にも、演習形式より講義形式がいいと考える学生は若干減少するも、およそ8割存在していたり、学習方法は自分で考えるより、大学で教えてもらうものと考える学生が回を追うごとに増えていっていたりしています。

 

こうした結果をどのように捉えることが出来るでしょうか。

 

2008年から2016年の間は、大学改革が歴史的に見てもかなりのペースで進めることが求められてきた期間だと思います。教授から学習への転換というコンセプトの元、FDの義務化や「学士力」議論に始まるカリキュラム改革、育成方略としての「アクティブラーニング」の推進、それらを通じて獲得された「学習成果」の測定・可視化など、さまざまな質保証ツールが取り入れられています。

 

そういう時期に過ごす学生らの考え方として見ると、私たちの期待とは逆の方向に進んでいるようにも見えます。

 

解釈は色々あると思います。

  • そもそもそこまで教育改革が進んでいない
  • アクティブラーニングが効果的に実施されていない、誤った理解の元で実施されている
  • 上記のような大学側の考え方が学生に周知徹底されていない
  • そもそも大学で教育を受けるためのレディネスが整っていない
  • 中高の進路指導が大学で進められている教育改革について十分に理解できておらず、生徒が入学後にミスマッチを経験してしまう

 

挙げればキリがありませんが、いずれにせよ日本の学生のこうした様態は、特定の誰か、の責任ではなく、ステークホルダーを含む子どもに関わる全ての大人にあると考えないと、この根深い構造的な問題は解決できないでしょう。

 

なお、これまでに研究報告もしてきましたが、こうした学生の学習に対する考え方は、学習への取組や、得られる成果に大きく影響してきます。ですので、この学習観は極めて重要な変数だと考えています。

 

改めて、誰のための、何のための教育改革なのか、政策に流されるあまりに見誤ってしまってはいないか、目の前の学生をより深く理解することが何においても大切なのだと思います。

 

結構効いてくる!?入学時の行動タイプ

前回に引き続き、もう少しベネッセの大学生調査の結果から考えてみたいと思います。

 

本調査では、以下のような行動タイプを入学時と現在とで聞いています。

 

①自分から積極的にやりたいことは探してやる

②与えられれば興味をもってやる

③与えられても、よほど興味がなければやらない

 

その割合が下図です。 

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単純な項目ですが、これが結構色んな変数と効いてくるんです。この項目は、同研究所が2015年に約20,000人の社会人を対象に実施した「大学での学びと成長に関するふりかえり調査」で設定して分析していました。その時にも様々な変数と関係(積極的なタイプはそうでないタイプよりポジティブに関係)していることが示されました。

 

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その傾向は大学生でも同様でした。入学時にどのような行動タイプを有しているかで、入学後の学習への関わり方や得られる成果などに差異が見られるというものです。

 

割合としては主体的行動タイプの学生は約3割ということになります。逆に4人に1人は、非常に消極的な行動タイプの学生です。アドミッションポリシーや入試などで、大半の大学では意欲・関心・態度を評価項目に含んでいるわけですが、このあたりの整合性はどう見たら良いのでしょうか。

 

ちなみに、本調査では、現時点でどうかという点についても聞いています。 

 

しかし、全体の割合は入学時とあまり変化がありません。これは同一学生で見たときに変化していないのでしょうか。物事(学習など)に対する捉え方や関わり方はなかなか変わりにくいといった指摘あるいは変化しやすいといった指摘もあります。

 

まず、入学時と現在との間の関連について、相関係数を算出したところ、r=.200(p<0.1)と非常に弱いものでした。これを見ると、在学中に変化していることが予想されます。

 

次に、入学時と現在とをクロスさせて、変化の傾向について見てみます(下図)。

 

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  • 「変化なし」を合わせると、44.8%と全体の半数近くは入学時と変化していないという結果でした。
  • 「向上変化」を合わせると、30.5%とおよそ3人に一人という結果です。こうした学生がなぜ向上したのか、特に、入学時には非常に消極的だった学生が、積極的になったケース(L→H)(6.2%)など、さらに細かく見ていくことで大学教育の課題解決の糸口が見えてくるかもしれません。
  • 逆に、「低下変化」を合わせると、24.7%とおよそ4人に一人が入学後に消極的な行動パターンへと変化しています。特に、入学時には非常に積極的だった学生が、消極的になったケース(6.1%)など、さらに細かく分析することは有益でしょう。 

 

もちろん、回顧式調査という制約上、結果の解釈には一定留意する必要はありますが、入学時の行動タイプという指標は、在学中の「伸び代」を予測する上で効果的な変数の1つではないでしょうか。

 

 

学生の満足度、なぜ下がるのか

学生の満足度調査は多くの大学で実施されていると思います。

 

満足度は大学教育の成果として重要な指標の1つでしょう。各大学では、満足度の向上を目標に掲げ、様々な教育・学習環境の整備を行っています。

 

ベネッセ教育総研が2008年から4年ごとに実施している全国大学生調査の3回目の結果が先般アップされました。

 

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私も第1回調査から研究メンバーとして関わってきているのですが、データを見ていて気になる点について考えてみたいと思います。

 

その1つが学生の満足度の低下です。

 

この10年余、大学教育改革は一定進展し、学生を取り巻く教育・学習環境はより良いものになっていると思います。そう言い切って問題ないと思います。

 

にも関わらず、調査を行うごとにあらゆる面での満足度が低下しているのです。

 

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上記報告書p.19より抜粋)

 

この結果をどう解釈することが出来るでしょうか。

 

個人の満足度(感情)は相対的なもので決まると思います。

 

  • 大学全体が環境整備に着手する前は、みんな「そんなもの」だと思っている。だから特に不満足感を覚えない。
  • 環境整備が進むと(いくら進んでも、どこを見渡してもという状況になるのはほぼ不可能に近い)、「あれ、なんかあの学部、あの部署、あの先生、あの職員、いい感じやん。それに比べてうちの・・・」となる。だから不満という感情が相対的に生起されてしまう。
  • SNSの発展で、大学を超えて学生同士が情報共有することで更に相対化される。しかも、正の情報より負の情報の方が発信・拡散されやすいので、その部分が強化されてしまう。

 

もっと広げて言うと、大学全体が、社会全体が、CS(顧客満足度)を重視した利便性の追求を行うことによって、学生の中の「やってもらって当たり前」「不便=不満」という意識が醸成されているという側面もあるかもしれません。

 

これは、学生の学びへの受動性(あるいは自律性)とも絡む問題で、結構根が深いものだと考えます。

 

大学経営が厳しい中、満足度は進路選択や在留率にも影響することから、無視は出来ないものの、その在り方は上記のような形で変動してしまうため、関係者は注意して捉える必要があるように思います。

 

なかなか悩ましい問題です。

 

みなさんの大学では、いかがでしょうか。

ぜひ、経年で比較して、なぜそのような変化が生じているのかを考えてみると良いのではないでしょうか。

 

ちなみに、現在、申込期間中ですが、この調査をベースに教員、職員、学生でこれからの教育を創造するワークショップを実施します。こんな風にデータを読みながら、これまでの足跡を振り返り、声を重ねながら、これからの教育を考える、そんな機会に足を運んでみませんか。

 

berd.benesse.jp

はてなブログはじめてみます!

2018年に入り、大台にも突入したし、自分自身の棚卸しをしようと思って、ブログも見直そうということになり。

 

今までは、自身のHP(yamatuyo.com)を格納しているレンタルサーバーに付属するブログを使ってきたのですが、もうちょっと今っぽさと使いやすさを備えたブログサービスないかなぁということで、思い切って登録してみました。

 

www.yamatuyo.com

 

ちなみに、これまでに執筆・公開してきたブログです(2008年12月〜2018年1月)。

 

yamatuyo.sblo.jp

 

ぼちぼち慣れていきたいなと思います。

 

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(ドローイングソフトで書いてみました!) 

 

よろしくお願いしますf^^*)