人生考路

個人と社会のウェルビーイングを高める教育を探究する-京大准教授・山田剛史のブログ

研究室の夏期集中ゼミでした

私の研究室では、院生の指導や自分自身の研究力向上を目的に、色んな機会を設けています。

 

例えば、

  • 月1回の個別指導
  • 月1回のゼミ
  • 月1回の読書会
  • 半年に1回の集中ゼミ(8月、2月)
  • 日常的な情報共有のためのビジネス向けSNS「Slack」の活用

などです。

 

Slackは、用途に沿ってたくさんのタグを設定して、かなり頻繁にやり取りをしています。研究室運営だけでなく、仕事のやり取りでも使っていますが、資料の共有も出来るし、なかなか便利です。

 

研究室の方針として、手取り足取りの指導はしない、特定の型にはめ込まない、多様性に触れながら自身の研究を深めていってもらう、ことを大切にしています。

 

まだまだ試行錯誤ですが、特定助教の勝間さんにも関わってもらいながら、みんなが成長出来る研究室を目指しています。

 

で、今日は、夏期の集中ゼミでした。

 

場所は、京大の教職員なら無料で使える良い感じの施設「吉田泉殿」です。

 

体調不良等で複数の欠席者がいて残念ですが、朝9時30分から、アフターのカフェトークも含めた19時近くまで、ノンストップでみんなの研究を共有し、議論しました。それでも全然時間が足りず、合宿形式にするか複数日にするか考えないといけないかも。

 

こうした機会に私自身も自分の研究や今後の計画について発表して、意見をもらうなど、大いに刺激を受けています。

 

いくつになっても成長出来るのって嬉しいですね。

 

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社会とは一体誰なのか?

学校教育の成果は,生徒・学生の社会への円滑な移行(トランジション)ひいては彼らの社会の中での健やかな成長・発達という視点から捉えられるものだと常々考えています。

 

この視点を教育改革の中心に据えることが最も重要だと,様々な場面で伝えてきていますが,教育関係者だけでは不十分だと年々強く感じるようになっています。教育関係者の意識変容・行動変容はなかなか難しいということもありますし,その変容を待ってもらえない社会情勢の激しい変化も,私の焦りを助長しています。

 

他方,大学に様々な提言や圧力をかけてきているその「社会」とは一体誰のことを指すのだろうか,と感じずにはいられない出来事をここのところよく体験したり見聞したりします。

 

確かに,社会変化に伴い学校も変わらないといけない。これは絶対外せない視点です。

 

実際,社会からのニーズや要望(これが年々強度を増している)といった形で,例えば「社会人基礎力」なんてことが随分前から言われて,大学では喧喧諤諤ありながらもこの10年強の間に随分変わってきたと思います。それが本当に望ましい方向に進んでいるかどうかの検証を行う暇もないほどに。

 

私自身も,そういう視点を持つことが大事です,とか言いながら先生方に理解を促したり,そのための教育開発や教育力向上に資する活動・支援を行ったりしてきました。

 

でも,最近,企業の方あるいは企業出身の教員と話したり,意見を伺ったりする機会があるのですが,文教政策の中で語られる「社会」と,一般の学生の多くを受け入れる一般の企業あるいはそこに勤める方々との認識のギャップが非常に大きいことを痛感します。

 

このことは,採用に関わる大学側からも「結局,社会が求める人材育成を一生懸命やっても,採用時にそのようなところに十分配慮してもらえない」といった声や,受け入れた企業からも「結局,変にリーダーシップのある学生はいらない,従順に言うことを聞いてくれる学生が欲しい」といった声など,以前から耳に入っていたことではあります。

 

大学では社会からのニーズを受けて,多種多様な資質能力の育成に取り組み,その成果を多面的・総合的に評価するといったミッションに臨んでいます。

 

なのに,企業側はそのような取り組みが行われていることはほとんど知らないのではないか,それが入職時や入職後にほとんど生かされていないのではないか,と感じる瞬間が多々あります。

 

そういうことを鑑みると,「社会からのニーズって一体何なのか?」「社会とは一体誰なのか?」という問い(疑念)が浮上します。

 

おそらくは,社会といっても経済産業界の上層部にいる方々,政治的・政策的に強い影響力を持つ方々,といったごく一部のエリート層やサバイバー層(自分は身一つでここまでやったぞといった強い成功体験を有する人)のことを「社会」と呼んでいるに過ぎないのではないか,と。

 

何がダイバーシティだと。

(関連して,今回の参議院選挙や吉本興業の一件,それらに関わるマスメディアの在り方など,かなり色んなことがモヤモヤします。これ以上,この問題については触れませんが。)

 

私たち教育界は一体誰に踊らされているのか?

 

もちろん,このような批評をするだけなら問題は何も改善しないので,自分なりに考え,判断し,行動していかないといけません。その意味でも,大人の論理,教育者の論理から距離を取って,これからの「社会」の担い手・「学校」の主役である生徒・学生の目線から,彼らのウェルビーイングを守り育むための教育・研究や社会貢献により一層取り組んでいこうと思います。

 

そのためにも,学校関係者以外の方々(一般の社会人や保護者など)との対話や理解を促すための機会を作っていく必要があると思います。

 

ちょっと熱くなりすぎたようです。。

出来れば選択肢が欲しい

今年度は講演・研修の依頼をかなりお断りしています。

 

というのも、例年以上に、依頼時に日にちが固定されていて、こちらの予定が既に入ってしまっていて、断らざるを得ない状況なのです。

 

せっかく丁寧に下調べして依頼してくれているのに、日にちが固定(一択)だと、正直ほとんど無理だと思います。半年以上先ならまだ可能性はありますが。

 

学内的な事情や都合が最優先なのかもしれませんが、特に遠路で丸一日かかるような場所ならなおさら、もう少し選択肢を用意していただけないかなと思います。ある程度のところで打診いただくとか。

 

出来れば行きたかったなぁという依頼を断ったばかりの勢いで書いています。

特別講演会のご案内

来週末(6/30、13:00~)、河合塾が主催する講演会に登壇します。

 

演題は「新たな時代を生きる子どもの学びと成長にどのように関わり育むか」です。

 

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主に中学生・高校生・保護者が対象となっています。教育関係者ではない方に伝えたいこと、共有したいことが募っている僕にとって有り難い機会です。

 

専門的な内容をいかにやさしく分かりやすく伝えるか、そこが最も試される局面です。研究者だけ、教育関係者だけでしか通用しない言語で話している限り、相互理解は生まれず、学校と社会の溝は一向に埋まらない。その溝を少しでも埋めて、何より子どもたちが安心して学び、育つきっかけになる機会を提供したいと思っています。

 

詳細ならびに申込は以下のサイトよりお願いします。

 

子どもの豊かな成長のために。京大×河合塾『特別講演会』 | 体験授業・イベント | 大学受験の予備校・塾 河合塾

 

同時期、G20が開催されているので、会場となる大阪梅田のブリーゼプラザにお越しになるには、公共交通機関がマストかと思います。

 

ちなみに、198名の定員に対して、既に300名を超える方が申し込まれているようです。さすが河合塾のネットワーク。これからも増えることが予想されていますが、まだ締め切っていないので、おそらく引き続き受付はされていると思われます。

 

みなさまと会場でお会いするのを楽しみにしています。

コーヒー好きには堪らない

1日に2〜3杯は飲まないと禁断症状が出るくらいコーヒーが大好きです。

 

家にも研究室にも手挽きのミルを置いているので、いつも豆から挽いて飲んでます。

 

気づけば、色んなマグカップやタンブラーがどんどん増えていっています。

 

家の近所にはスタバが3件もあるし、大学内にタリーズもあるので、ここらで豆を買うことが多いです。

 

でも、ちょっと前から、家のすぐ近所に出来たコーヒースタンドも利用するようになりました。そこはかなり本格的で、雑誌などでも紹介されています。こだわりのマスターが世界中から仕入れてくる豆(生豆)を、その場で焙煎して提供してくれます。しかも、普通の喫茶店だったら、1杯1000円以上はするような豆を安価で分けていただけます。

 

家の豆が切れてしまったので、ちょうど入荷したての豆をいただきました。

 

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パナマ産のゲイシャ種をこの値段でいただけるなんて!しかも、めっちゃ新鮮。

 

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こうして焙煎が始まると小さな店内は、コーヒーの香りと煙で何とも堪らない空間に。煎り方なんかも、品種や好みに応じて対応してくれるので、色んな楽しみ方が出来ます。

 

しかも、焙煎を待つ間に、これまた美味しいコーヒーを安価でいただくことが出来ます。

 

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コーヒー好きには堪らないお店で、ウキウキなのでした。

 

 

エキサイティングな1日

今日はなかなかエキサイティングな1日でした。

 

(1)

午前中は、1年近く前から関わっている「産学協働イノベーション人材育成協議会(C-ENGINE)」の事務局(事業責任者の藤森さん)と打合せ。詳細は、代表理事である本学教育担当理事の北野先生へのインタビュー記事を紹介させていただきます。

 

“産学協働イノベーション人材育成協議会(C-ENGINE)が推進する研究インターンシップ” | 京都大学高等教育研究開発推進センター

 

博士後期課程の大学院生と企業とを「研究インターンシップ」という形でつなぐ事業で、今後の日本の高等教育ひいては社会変革に寄与する重要な営みだと思っています。実際、携わった院生の学びは大きく、企業からも高い評価を受けています。

 

藤森さんは、企業の現場を熟知しておられて、世代も立場も違うけど、同じ想いを共有しながら進んでいくディスカッションはいつもエキサイティングで、楽しい時間です。

 

ぜひ、研究としても発信したいと考えています。

 

(2)

午後一は、中国人留学生の研究指導で、中国の高等教育事情を色々聞きながら、双方の文化的差異や学生気質の違いなどについてディスカッション。これまたなかなか楽しい時間です。

 

(3)

その後、業務の一環として携わっているMOOCのアセスメント結果のフィードバックに行ってきました。今日の先生は、初期の頃からMOOCを実施されているiCeMS(京都大学 物質-細胞統合システム拠点(iCeMS=アイセムス))の上杉先生でした。

 

上杉先生のコース("The Chemistry of Life")は世界中から多くの方が受講する人気のコースになっています。

 

The Chemistry of Life

 

僕ははじめましてだったのですが、挨拶するなり「専門は何ですか?」「それってどういうことをするんですか?」と質問攻めに(笑)とにかくものすごく好奇心が強くエネルギッシュな先生で、自身のMOOCを世界中で講義する際に活用されているとか。反転型の講義にこだわっていて、ぜひ共同研究にしませんかという流れに。「先端を行くのならいくらでも協力するよ」と。プレッシャーも感じるけど、楽しみなプロジェクトが生まれました。これこそ京大だなと思います。本当に先生方、好奇心が強くて、知ることを全力で楽しんで、世界中を飛び回っています。どんなに忙しくてもその歩みを止めない。常に楽しむことを第1にされている。これこそが大学、これこそが研究者/教育者なのだと痛感します。

 

(4)

まだ終わりません。週一でやっている学内の安全衛生に関する巡視業務(そのために衛生管理者の資格まで取るはめに...)の後、2016年度から特別委員として関わっている東山中高に移動して、定例ミーティング。子どもたちのために何が出来るか。学校の首脳陣の先生方とのディスカッションは熱い思いに支えられていて、とても楽しい時間です。色んなアイデアが出てきます。もちろん、ただでさえ多忙な学校の先生方にとって新しいことをするのは大変なこと。そこに、色んな先生方を巻き込んでいくのは尚更。そうした現実の難しさと理想とを重ねながら前に進む。

 

東山は幼稚園を持っていて、園長代理/副校長の先生ともいつも熱く議論しているのですが、私が幼稚園での様子も見てみたい!と言うと、ぜひ行きましょう!みんな喜びます!ということで、近々幼稚園デビューになりそう。

 

今の私は、特定の学校段階というより、子どもが大人になる過程、その中での学校教育の果たす役割に関心が向いているので、出来るだけ色んな年齢(発達段階)の子どもとそこに関わる大人、その相互作用を観たいと思っています。

 

 

帰宅後、明日の3コマ分の授業準備をして、これからお風呂に入って、ようやく1日が終わります。

 

今日はいつもに増してエキサイティングで楽しい1日でした。こんな日ばかりじゃないけど、身体は相当ガタがきてるけど、こんな日があるともっと頑張ろう!って思います。

 

そして修行の日は続く

よき助言者でなく、よき理解者に

昨晩、以下の番組を見ました。

 

ハートネットTV シリーズ 変わり始めた精神医療(1)「子どもたちの心」 | NHK ハートネットTV

 

厚労省の調べによると、精神疾患を有する総患者数は、平成11年の204.1万人から毎年増え続け、平成26年には392.4万人と、倍近くにも上ります。

 

また、精神疾患の発症のピークは、10代後半から20代前半ということで、大学教育を通じて同世代に関わる者として看過できない問題だと思います。

 

こうした問題に対する対策の1つとして、新しい学習指導要領では、高校の教科書の中に精神疾患に関する具体的な記述が盛り込まれることになっています。無理解による問題の悪化を防ぐためにも、学校教育の中で取り上げることは大切だと思います。

 

少なくとも「精神が弱いからだ」「頑張りが足りないだけだ」といった誤った考えを無くしていければいいなと思います。

 

番組の最後に、精神科医の先生が

 

「よき助言者でなく、よき理解者に」

 

といった言葉を発しておられました。

 

これは私自身もとても重要だと思っています。どうしても大人や特に教職につく人は「助言」しようとします。何か良い事を言って、良くしてあげよう、良い方向に導いてあげよう、と思いがちです。

 

この想い自体が悪いものではないだけにかえって問題が複雑になります。

 

「あなたのためを思って.......」

 

残念ながら一番ダメなパターンです。

 

私たち大人に出来ることは、よき理解者になること、よく理解しようとすること、その子が何を訴えたいのかに耳を傾けること、その善し悪しを(自分たちの価値観で)判断・評価しないこと、ありのままを受け入れること、なんだと思います。

 

これを大人や教師が実践できれば、子どもたちはかなり楽になれるし、結果的に精神疾患の改善につながると思います。

 

もちろん、関わり方以外にも様々な要因が重なり合って発症に至るのですが、比較的可変性の高い関わりの在り方を見直すことで、少しでも子どもたちの幸せな人生に寄与できればと切に願います。

学会の楽しみ方

大学教育学会第41回大会(於:玉川大学)が終わりました。

 

最近は、学会参加は理事会や各種委員会への出席、部会の座長(司会)といったお仕事が入っていたり、科研等の研究打合せが入っていたりと、なかなか自由に動き回るということが出来ません。

 

今回もそういうのは一定ありましたが、楽しい時間も多かったです。

 

楽しみ方はそれぞれだと思いますが、個人的には細切れの発表をあちこち聞き回ったり、企画された長時間のセッションに参加したり、オフィシャルな懇親会で次から次へとご挨拶したりというより、「(なかなか会えない・話せない)この人とゆっくり話したい」という人と予めアポイントを取っておいてじっくり話すというのが好きです。

 

今回そういう人とゆっくりお話できたのと、うちの院生らと2次会に行って深夜過ぎまで語り合って、フラフラしながら一緒に町田の夜を歩いたのは、何だか自分が大学院生だった頃を思い出して、とても楽しかったです。

 

大学教育関係の飲み会って、近況報告(愚痴大会)やら色んな人の噂話(人事や政治的な話)やら、あんまり研究の話にならないので、正直「それならホテルかカフェで仕事するか」となるのですが、今回はみんなで研究の話やこれからのキャリアの話などをしながらのお酒だったので、「学会ってこうだよなー」って思いました。

 

最後に、大会中、10m歩けば知り合いに会うくらいの感じなのですが、最初に言われるセリフのトップ3を上げたいと思います。

 

1位「身体大丈夫ですか?」

2位「ちゃんと休めてますか?」

3位「楽しく過ごせてますか?」

 

どんだけヤバいと思われてるんだろう(笑)

 

確かに日々命を削ってる感じはしますが、貧乏暇なし、声を掛けてくれるうちが花、何でも成長できる機会、と思ってやっていたら、結果的に隙間が無くなっちゃって。。

 

身体壊したら元も子も無いので、セーブしながら頑張ります!(出来るかなぁ.......)

 

自分的に楽しく学びの多い学会でした。

 

参加されたみなさま、お疲れさまでした。

期待を希望に変えるとちょっと楽

人って頑張ったら頑張っただけ期待しますよね。他者に認めて欲しい、受け入れて欲しいって思いが強ければ強いほど期待しますよね。

 

でも、期待するってすごくエネルギーのいることだし、何の反応ももらえなかったり裏切られたり、期待通りにいかなかった時のダメージって大きいですよね。

 

でも、だからと言って、そもそも期待しないっていうのも、あきらめちゃうことにもなって、なんか違う気がします。

 

僕は日々そんな感情や葛藤に苛まれています。そんなことに苛まれるのは馬鹿らしいなとも思いますが、人間だものしょうがない。何分、小心者でいつまでたっても自分に自信が持てない人間なので、ホントに毎日凹んでいます。でも、そんな自分だから頑張れたり、人がやりたがらないことをやろうと思えたりするので、しんどいけど嫌いじゃないかなと少しは思えるようになりました。行ったり来たりの毎日です。

 

そういう中で、僕は最近、「期待」という形ではなく「希望」という形で自分の感情を持つようになりました。

 

「こうなって欲しい」を「こうなったらいいな」に変えるだけです。

 

文字に書くと大した違いはないのですが、相手の側に比重を置く形から、自分の側に比重を残す感じです。

 

結構楽な感じがします。

 

他者に求めすぎるのではなく、また他者に向かう気持ちを諦めてしまうのでもなく、自分を守りながら、他者と共生していく。

 

高度な情報化社会で自己と他者の境界が極めて曖昧になったこともあり、距離感(パーソナルスペース)や共存感(センス・オブ・コミュニティ)の在り方が変化して、自分を保つことがとても難しくなっていると、SNSや今の若い子たちを見ていると感じずにはいられません。青年心理学者としては、ぜひ研究したいテーマです。

 

希望を持ちにくい日本社会ではありますが、希望こそが自分を守る数少ない武器になるのではないかなという希望を抱きつつ。。

 

もっと寛容な社会になればいいのにな。

教授・学習パラダイムを見分けるたった1つのポイント

高等教育を捉える視点の1つに「教授・学習パラダイム」というものがあります。

 

学術的な説明はさておき、教授パラダイムとは教員(教授)中心に、学習パラダイムは学生(学習)中心に教育を捉える見方を表します。

 

このことはアクティブラーニングや主体的・対話的で深い学びへの転換と密接に関係しています。

 

政策上、教育全体がAL型に移行していく流れにあるわけですが、その是非はさておき、この流れにすんなり溶け込める先生とそうでない先生にスパッと分かれます。後者のタイプの先生にいくら啓発してもうまくいかないケースが大半です。また、たとえ、当人は一生懸命授業改善の努力をしていたとしても、(本来的な意味での)ALにはならないのです。

 

それはなぜか?

 

その鍵を握っているのが、教授・学習パラダイムです。その人の持つ教育観といっても良いかと思います。学習観、知識観とも言えます。この教育観は幼少期からの教育経験の中で育まれるもので、簡単に転換出来るものではありません。

 

そして、現職の学校教員の大半は、教授パラダイムの中で学び、その環境に適応し、それを好ましいと感じてきたわけです。だから教員という職業に就いているといっても過言ではありません。

 

つまり、教育とは、教員が伝え(教え)、学生は受け取る(学ぶ)、という構図からなかなか脱却出来ないのです。

 

そこをすっ飛ばして、形だけALを入れようとすると、これは教員にとっても、学生にとっても悲劇です。授業を見れば、その先生がいずれのパラダイムに依拠しているかは一目瞭然ですが、それは発言の中にも現れます。

 

もっともシンプルかつ明確にいずれのパラダイムに依拠しているかを見極めるポイントは、「主語は誰か」、換言すれば「使役動詞が使われているか否か」、になると思っています。

 

教育について話している時に、「学生に〇〇させる」といった発言をされる方がとても多いのですが、これは教員が主語になっていて、教授パラダイムのタイプに属します。「観」というのは、普段から意識しているものではなく、潜在的に有しているものの見方や捉え方なので、こうした表現が何気ない会話の中に現れます。

 

また、教授から学習への転換というスローガンは一定普及しているので、最近はこんな言葉を良く耳にします。

 

「学生に学習させる」

「学生に学ばせる」

 

言葉の中にこそ「学習」や「学び」が入っているわけですが、「学生に教える」といった従前の教授パラダイムと何ら変わりありません。

 

逆に、学生を主語に捉えられている先生の授業は、どうあってもALになります。外野からあれこれ言わなくても、そういう方向に動いていきます。

 

私のざっくりとした印象では、教授パラダイムと学習パラダイムの教員比率は「9対1」くらいでしょうか。期待を込めれば「8対2」くらい。分野にもよるし、世代にもよるし、あくまで個人の印象ですが。あえて、挑戦的に数字を書いてみます。

 

この圧倒的に不利なオセロの盤面を反転させるのに一体何十年かかるのだろうか。その間に、学生はどんどん入学し、卒業していく。そして、少子化はどんどん加速し、入学者自体も減少していく。

 

「学生に〇〇させる」

 

この言葉に目や耳で触れる度、絶望的な気持ちになってしまいます。

 

それでも、思考を止めず、自分に何が出来るかを考え、実践し続けていくしかないのですが。

理解と納得を使い分ける

私は普段から理解と納得を使い分けるようにしています。

 

この2つは似ているようで全然違うものだと思っています。理解とは認知的なもの(必ずしも価値観を伴わないもの)、納得とは感情的なもの(時として価値観を伴うもの)だとも言えます。

 

色んな物事に対して否定的な反応を示す人がいます。教育改革・支援の仕事をしていると常にそうした反応に直面します。多くの場合、それらはいっしょくちゃの形で単に「否定」として表出されます。

 

そこで、その人が「理解」できないのか「納得」できないのか、を見定めるようにしています。その違いによってコミュニケーションの取り方が変わってきます。

 

自分自身の中でも、物事の判断に困る場合に、「〇〇について理解はできるけど、納得はできない」といった形で整理する、言い換えれば、頭と気持ちを切り分けて対処すると、比較的ストレスなく進めることができます。

 

単なる感情的な反発を頭で理解しようとするととても混乱し疲弊する消耗戦です。

 

そんな戦い方ではなく、うまく物事を進めるための処世術です。

 

いよいよお別れ

平成が終わりを迎える頃から調子が悪くなり、令和を迎えた途端に動かなくなってしまいました。

 

オーブンレンジ

 

かれこれ10年近く使ってきて、島根、愛媛、京都と、一緒に引越ししてきましたが、新たな時代の到来とともに静かに幕を閉じました。最後は、何回ボタンを押しても「ピーピーピー♪」とエラー音が鳴り響くだけでした。ウルトラマンが星に帰るかのごとく。

 

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夫婦ともどもお世話になりました。たくさんの飲食物と私たちの心を温めてくれました。

 

レンジさん、お役目ご苦労さまでした!

 

 

しかし、レンジがないと生活が不便なので、別れを惜しむまもなく、次の子を迎えなければなりません。最近のレンジって?と思いつつ、割とすぐに決まりました。

 

バルミューダのオーブンレンジ

概要 | BALMUDA The Range | バルミューダ

 

機能は普通、だけど、オシャレ、そこに惹かれました。希望の色はブラック一択。だけど、家電量販店では全て売り切れ状態。ネットで調べても「入荷待ち」か、あっても2倍以上の値段が付いていたり。メーカー欠品中で、6月中旬以降とのこと。そこまで待てないので、違う色(白色)にするか、他のにするか。。でも、諦めきれずにあちこち探した挙句、何とか辿り着いた1店で無事にゲット。

 

今日帰ったら我が家に来ていました!

 

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おしゃれ~

 

普通なら「チン♪」となる仕上がり音も、バルミューダレンジなら、爽やかなギターの「ジャラ~ン♪」という音色。終了時には「ENJOY」の表示。ステキです。

 

日常の何気ないところにハッピーを。

 

おわり